蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-06

[][][]蛇の章を読む(その5) 19:56 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ


第一 蛇の章

二、ダニヤ

二〇 牛飼いダニヤがいった、

「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、かれらは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

二一 師は答えた、

「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」


二二 牛飼いダニヤがいった、

「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意(こころ)に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

二三 師は答えた。

「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたくしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」


二四 牛飼いダニヤはいった、

「わたしは自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

二五 師は答えた、

「わたくしは何ぴとの雇い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 ダニヤさんの執著心は「牛(つまり財産)と家族」に支配されています。これに対して師ブッダは心が自由であり、解脱しているので激流(欲望?)にも悪にも、支配者にもとらわれることがありません。


[][][][]顔淵第十二を読む(その9) 19:46 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

年饑えて用足らず。これを如何せん

 顔淵第十二(279~302)

287 哀公問於有若曰。年饑用不足。如之何。有若対曰。盍徹乎。曰。二吾猶不足。如之何其徹也。対曰。百姓足。君孰与不足。百姓不足。君孰与足。

(訓)哀公、有若に問うて曰く、年饑(う)えて用足らず。これを如何せん。有若、対えて曰く、盍(なん)ぞ徹せざるや。曰く、二なるも吾猶お足れりとせず。これを如何ぞ其れ徹せんや。対えて曰く、百姓(ひゃくせい)足らば、君孰(た)れと与にか足らざらん。百姓足らずんば、君孰れと与にか足らん。

(新)魯の哀公が有若に尋ねた。饑饉のために財政が窮乏していますが、どうしたらよいでしょうか。有若対えて曰く、徹法を行って、十分の一税を取るに限ります。曰く、十分の二税を取っていてもなお足りないのに、どうしてまた十分の一税とは。対えて曰く、百姓が豊かになれば君主がひとり窮乏に陥るはずがない。百姓が窮乏すれば、君主ひとり豊かになるはずがない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 食を足らすか、捨てて信をとるかなどと理想論を楽しく交わしている場合ではなくなってきました。饑饉ですよ。本当に食が足りなくなってしまいました。さあどうする。


 有若の答え。減税。現代ではこうはいかないのでしょうねえ。


 「徹」は

○徹=周の時の税法で十分の一を取るのである。徹とは「通均徹平」の意である。周の制度では、一夫は百畝の田を君から受け、八家で力を通じて九百畝の田を合作し、収穫するときは畝を数えて平均にわけ、おおむね民は九を得、国家は一を得ることになっていたのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫