蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-18

[][][]ワイス、ヒックマン『ドラゴンランス』3 角川つばさ文庫(その3) 21:35 はてなブックマーク - ワイス、ヒックマン『ドラゴンランス』3 角川つばさ文庫(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

  1. 奴隷護送隊 不思議な老魔術師
    • 一行とギルサナスは檻車に入れられ、パックス・タルカスの鉱山に送られることになる。
    • エルフの脱出を手引きした鍛冶屋のテロスをゴールドムーンが癒やす。
    • ゴールドムーンの目標は「指導者」を探すこと。
    • 魔法使いフィズバンが捕らえられ、車に乗せられて一向に合流する。
      • フィズバンはfizz-bang。(じゅう、ぼんという擬音。)
  2. 救出! フィズバンの魔術
    • エルフの救出隊が奴隷護送隊を急襲。
    • フィズバンが火の玉(ファイヤーボール)で檻を壊す。
      • D&Dでいうなら(ドラゴンランスはAD&Dなのだそうで、そっちはわかりません。)、第3レベル。称号は霊能者(コンジャラー)以上ということになりますね。
    • エルフの森に連行される。
  3. (太陽の評議長)
    • エルフの都クォリノストにたどりつく。
    • 都の中心(太陽の塔)でエルフの王と会う。
    • エルフは、ドラゴン軍の進撃によりクォリノストを放棄することを決めている。
      • エルフの永遠を信じていたタニスは衝撃を受ける。
    • 太陽の塔で、ギルサナスがパックス・タルカスの襲撃に失敗したこと、ソレースはドラゴン卿ヴェルミナァルドによって滅ぼされたことを報告する。
    • ミシャカルの癒し手ゴールドムーンを、評議長ソロスタランははじめ認めないが、メダリオンの力を浴びて信じるようになる。


[][][]蛇の章を読む(その13) 21:13 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ


犀の角のようにただ独り歩め

第一 蛇の章

三、犀の角

六四 葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

六五 諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

六六 こころの五つの覆いを断ち切って、すべて付随して起る悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、なにものかにたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

六七 以前に経験した楽しみと苦しみとを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

六八 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と知力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

六九 独坐と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患(うれ)いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 六六あたり、普通の仏教(?)に近いかも。

 五つの覆いは、「五つの蓋い」として既出。

 随煩悩――upakkilesa(pl)。註は「近づいて心を悩ます不善なるもの」と解する。『倶舎論』によると、二義がある。(1)一切の煩悩をさす。心にしたがって起り、悩乱のはたらきをなすからである。(2)六随眠の根本煩悩に対し、それにしたがって起る他の煩悩をいい、枝末感と名づける。この詩において何を意味したか、判然としないが、これらの観念の成立するもとのものを考えていたのであろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 愛念――sineha。愛情、恩愛のきずな、をいう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 愛念の過ちを断ち切って――chetva sinehadosam ブッダゴーサ註では註解していう――snehadosam, tanharagan ti vuuttam hoti, sneho eva hi gunapatipakkhato ti vuuttam.この解釈は、 dosa=Skrt. dosa と解するのである。これに対して、ある訳者のとっている見解は dosa=Skrit. dvesa と解するのである。それによるならば「愛憎を断ち切って」ということになる。この解釈は語学的には可能であるが、インドの文献一般に dvesa に対立するのは raga であり、sneha と対立して用いられる用例はどうも記憶がない。やはりブッダゴーサの註解に従って解するのが無難であると思われる。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

[][][][]顔淵第十二を読む(その17) 20:44 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

忠告して善くこれを導く。可かざれば止む

 顔淵第十二(279~302)

301 子貢問友。子曰。忠告而善道之。不可則止。毋自辱焉。

(訓)子貢、友を問う。子曰く、忠告して善くこれを導く。可(き)かざれば止む。自ら辱められるるなかれ。

(新)子貢が友人と交際する道を尋ねた。子曰く、相手の為になるように教えて、善い方へ導いて行く。向うがそれを受けつけなければあきらめる。深入りしすぎると自ら恥辱を招く結果になる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子貢が、友人との付きあい方を尋ねました。しかし、孔子の答えは少し不思議ですね。子貢が友人から学ぶ、という視点はぬけているのでしょうか。

 おそらく、この質問は孔子晩年、子貢が孔子教団の中核的存在になった頃のものなのでしょう。ですから「友」とはいうものの、子貢から見れば年下の弟子たちが想定されているのだと思います。孔子としては、子貢の能力を充分に認めつつも、その才気の勝ちすぎるところが目についたことでしょうから、「善くこれを導く」は当然として、「可かざれば止む」、あまりしつこく多弁に説得してはいけないよ、と押しとどめたものと思われます。子貢は自分が能弁なだけではなく、相手にも才気煥発なところを要求するような、おせっかいな部分が(佞者子路ほどではないにせよ)あったのかもしれません。

 孔子が教団の長であれば、フォローもできますが、子貢が大将になるのであれば、おめおめ恥辱にまみれるような行為は厳に慎まなければならない、この章はそんな孔子の忠告なのでしょう。


文を以て友を会し、友を以て仁を輔く

 顔淵第十二(279~302)

302 曾子曰。君子以文会友。以友輔仁。

(訓)曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。

(新)曾子曰く、諸君は趣味を中心としてグループを造り、グループが出来たらその力を出しあって仁の道へ進むがよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 文はおそらく単なる趣味ではなくて経書の研究のことでしょうから、同じ理想をもつ者同士でなければ友情はありえない、そうして集まってお互いに研鑽し合うのだということでしょう。


 以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』下論、二十四章から成る「顔淵」という第十二は終わる。