蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-20

[][][]蛇の章を読む(その1421:12 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ


犀の角のようにただ独り歩め

第一 蛇の章

三、犀の角

七〇 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

七一 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

七二 歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺境の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

七三 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

七四 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

七五 今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益を目ざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 七〇の註。

 明敏であって――anelamugo. 直訳すれば、明朗な喉のある、唖ではない、という意味

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 学ぶこと深く――原文にはsutava となっている。直訳すると、「聞いたことが多く」という意味である。当時は、師の説いたことを聞いて暗記することが「学問」であった。世俗のことがらに関しては、文字に書くことがなされていたが、宗教的な学問については筆記はなされなかった。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 初期の仏教は文字を使わずに師ブッダの教えを伝えていたのと一致しますね。知性とは、現代でいうコミュニケーション能力のことだったわけですね。

 七三

 慈しみ――metta.

 あわれみ――karuna.

 時に応じて――kale. 注釈家は「これらの徳を順次に修する」という意味に解するが、これは注釈家の見解であって、必ずしも原意ではないであろう。

 やがて仏教では、願わしい心境として慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)、喜(よろこび)、捨(心の平静)の四つを説く。これを四無量心という。ここでは、仏教教学体系における慈・悲・喜・捨の四無量心が説かれる以前の段階であり、必ずしも四無量心と一致しない。

 「(慈)(metta いつくしみ)とは、『一切の生きとし生けるものどもは安楽であれかし』(と念ずること)などのしかたによって、利益と安楽とをもたらすことを願うことである。

 (悲)(karuna あわれみ)とは、『ああ、一切の生きとし生けるものどもが、 この苦しみから脱れますように(vimucceyyum)』(と念ずること)などのしかたによって、不利益や苦しみを除去しようと願うことである。

 (喜)(mudita よろこび)とは、『生きものどもは実に喜んでいる。かれらは、みごとに良く喜んでいる』(と心に思うこと)などのしかたによって、(かれらが)利益と安楽とから離れないように願うことである。

 (捨)(upekha 心の平静)とは、『(なにごとも)自分の業によって表されるのである』と思って、苦楽(快と不快)にわずらわされrず、平静となることである。」

 「(解脱)(vimutti)というのは、自分の心(cetas)が違逆なる事柄から離脱しているが故に、諸々の解脱(vimuttiyo)が起るのである」

 本文では「解脱」(vimutti)を単数で示しているのに、注釈では複数となっている。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「喜捨」って、仏教では「喜」と「捨」なんですね。

 また、出家するイメージの強い仏教ですが、「世間すべてに背くことなく」という部分もあるとは。

 七四。

 結び目――その原語はsamyojananiであるが、すでに経典の中でその十種を教えている。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 ここでは、真の修行者は愛著(raga)と憎悪(dosa)と迷い(moha)とを絶つというのであるが、この三者は人間の諸々の煩悩のうちで最も根本的なものである。この三つは根本的なものであるから、漢文の仏典では「貪瞋癡の三毒」という。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

[][][][]子路第十三を読む(その1) 20:53 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ


論語解題より

子路第十三

(解説)この篇はすべて三十章ある。前の十八章は多く政(まつりごと)を言い、十九章以後は多く学を言い、末の二章は政(まつりごと)をいう。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

これに先んじ、これを労う

 子路第十三(303~332)

303 子路問政。子曰。先之労之。請益。曰。無倦。

(訓)子路、政を問う。子曰く、これに先んじ、これを労(ねぎら)う。益を請う。曰く、倦むことなかれ。

(新)子路が政治のやり方を尋ねた。子曰く、部下に先立って働き、思いやりを示すことだ。子路曰く、ただそれだけですか。子曰く、ただそれだけのことを根気よくやればよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「請益」は、「子路曰く、ただそれだけですか」だと意訳が過ぎるようです。「いま少しとお願いする」とするのが普通のようです。

 「倦むことなかれ」は子張も言われていました


 子路は、その性格ですから「先之」「労之」自体はできそうですが、むらっ気を起こしては、せっかく善行を積み重ねても台無しになるので、それを継続することが大切なのだ、と孔子は説明しました。