蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-22

[][][]ワイス、ヒックマン『ドラゴンランス』3 角川つばさ文庫(その5) 20:23 はてなブックマーク - ワイス、ヒックマン『ドラゴンランス』3 角川つばさ文庫(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

  1. 宝石の寓話 露見した裏切り者 タッスルの窮地
    • 囚われの女のもとにゆく。
      • 子供たちを監視するはずの赤竜フレームストライクは、自分の子竜を戦いで失った悲しみから、人間の子供たちに愛情をもって接している。
        • これも、夜の言葉のようではないですね。まあもちろん、人間がハツカネズミを愛するくらいには、ドラゴンが人間を愛してもいいけれど。
    • タッスルはフィズバンによってドラゴンランスの絵画を見せられる。
      • フィズバンは未来を知っているかのような描写で伏線を張りまくっていますが、これ全部回収できるのでしょうか。それと、黒竜編の冒頭、「憩いのわが家」亭で青水晶の杖について言及した老人も、このフィズバンだったでしょうか…
    • 一行は、ドラゴン卿に刃向かったシーク教の司教、エリスタンに面会する。ゴールドムーンは瀕死の司教を癒やす。
    • タニスは、スタームからエーベンとギルサナスが姿を消したことを知らされる。
      • どちらかが裏切り者、ということ。風雲急を告げる。
    • 赤竜エンバーは裏切り者から報告を受ける。
      • 裏切り者は、ヴェルミナァルドではなく邪竜のしもべとして、緑宝石の「永遠の男(エヴァーマン)」の秘密も知らされている。スパイの容疑でパックス・タルカスに連行された男がそれだと気づいたエンバーは、ヴェルミナァルドに隠して男を連れ出す計画を立てる。
  2. 問い 答えなし フィズバンの帽子
    • エーベン、ギルサナス、レイストリンは一行とは別行動をとっていた。裏切り者がわからないまま、囚人解放計画が始まる。
    • タッスルとフィズバンは赤竜エンバーの餌と決まったどぶドワーフのセスタンを救出するが、フィズバンが帽子を落としてしまい、パイロス(エンバー)に気づかれる。
    • 一行は子供たちを先に脱出させようとするが、ドラコニアンの衛兵に気づかれ、戦闘となる。
    • 同時に、タッスルたちはエンバーに追われて「鎖室」に逃げるが、ドラゴンの火で鎖は焼き切られる。
  3. マータフルール 魔法の剣 白い羽毛
    • 一行は赤竜マータフルール(フレームストライク)の部屋にはいる。
    • タニスがキス=カナンから譲られた魔剣ワームスレイヤーが、ドラゴンに反応してうなりだし、マータフルールの怒りを誘う。しかしマータフルールは錯乱し、子供たちの声が聞こえている間は戦うことができない。
    • 鎖を切られたタッスルとフィズバン、セスタンは鎖室を落下する。地面に激突する前に、フィズバンは魔法で羽毛の塊になり、タッスルとセスタンは無事に最下層にたどりつく。
    • 裏切り者エーベンは囚人達を煽動して混乱を誘い、それに紛れて「緑宝石の男」ベレムを要塞の外に出そうとする。
    • ヴェルミナァルドは魔法の槌矛ナイトブリンガーを持って戦闘の準備をし、パイロスにまたがり囚人達による反乱軍の殲滅を始める。
      • 「ドラゴンへの恐怖」が囚人達を襲い、誰も身動きができなくなる。
    • エーベンとベレムの脱出に気づいたスタームとレイストリンが二人を追い、ベレムの秘密の部分を見る。
      • 「その胸の中央に、肉を貫いて、まばゆい緑の宝石が埋まっている! 大人の握りこぶしほどもあるその宝石は、陽の光を受けて、輝かしくも恐ろしいきらめきを発した――神聖ならざる光だった。」
      • 「「このような魔法は見たことも聞いたこともない!」レイストリンが畏れに打たれてささやいた。」
        • 結構レイストリンは何も知らないのではないかと邪推。「魔法」と「世界の知識」は別技能ですしね。
    • 「鎖室」の仕掛けが動き、パックス・タルカスの門が大石でふさがれ、エーベンとベレムはその下敷きになる。
    • ヴェルミナァルドは囚人達を脅迫し、人質の子供たちを殺すことを宣言する。
      • 錯乱したマータフルールはドラゴン卿の言葉に過剰反応し、ヴェルミナァルドとエンバーとに襲いかかる。
      • ドラゴン同士の戦いで、ヴェルミナァルドはエンバーから振り落とされて地上に落ちる。
  4. ドラゴン卿 マータフルールの子供たち
    • ヴェルミナァルドに挑むのはスターム(騎士)、タニス(ハーフ・エルフ)、レイストリン(魔術師)、キャラモン(大男)。
      • まあ妥当なメンバーですね。リヴァーウィンド(戦士)はなんでサボってるのか?
        • 予想では、ゴールドムーンの護衛に回っているのでしょう。
      • フリントはなんでサボっているのか?
        • 分かりません。あとから戦闘に参加するのでしょうか? 「ドラゴンへの恐怖」から復帰できてなかったりして。
    • ヴェルミナァルド最初の攻撃は……魔術師!
      • 当然だ! なんでレイストリンは前列に出てきますか? AC9のくせに! 「暗黒の女王」から得た魔法でレイストリンは倒れる。
    • キャラモンがかばうが、逆にナイトブリンガーの能力「ミッドナイト」で盲目とさせられてしまう。
    • タニスの攻撃は受け流され、タニスも地面に倒される。
    • スタームは攻撃前に敬礼を行うが、ヴェルミナァルドは鉄針を魔法の触媒として、騎士の動きを重くする。
      • なんだこのパーティ。連携が駄目だし、ロールプレイを気にして戦闘が疎かになるパターン? 逆に、こういうちぐはぐな一行がお互いの信頼を培っていくのが「ドラゴンランス」の物語なのでしょうか。
    • ゴールドムーンが戦闘に参加。
      • まあこのひとが主役ですからね。
      • 「暗黒の女王」は、ミシャカルが近づいてきたことを知り、ヴェルミナァルドへの魔法の援護を打ち切る。
    • リヴァーウィンドが戦闘に参加。ナイトブリンガーの「ミッドナイト」攻撃を受けるが、盲目になりながらもヴェルミナァルドに反撃。しかし鎧で防がれる。
    • ドラゴン卿の、他人を威圧するかぶとは実践向きではなく、リヴァーウィンドにとどめを刺せない。
    • タニスがキス=カナンの魔法の刃で鎧を貫いてヴェルミナァルドに深手を負わせる。動きの止まったヴェルミナァルドに、各人が次々と攻撃を加える。
    • 同じ頃、マータフルールはパイロスに決死の体当たりを試みて相打ちになる。
  5. 婚礼
    • リヴァーウィンドとゴールドムーンが婚礼を挙げる。
      • 平原の民のしきたりではなく、あたらしい儀礼で。ミシャカルに仕えることになった司教エリスタンの進行のもとに。
      • 宴会の席で、スタームとタニスは大石に押しつぶされたはずのベレムの姿を見るが、男はすぐに姿を消す。

 総じていえば、スラ=モリ探索などの冒険やヴェルミナァルドとの戦闘などは手に汗握るものがありましたが、前半のタニスとローラナの鞘当てやキャラモンの勘違いなどの挿話は鼻白むものがありました。フレームストライクも変な設定ですが、この一行の戦力ではまだドラゴンとは戦えないのでしょうから、以降の展開に期待する、といったところですね。



[][][]蛇の章を読む(その16) 20:23 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

ゴータマさまは乳粥をめしあがれ

第一 蛇の章

四、田を耕すパーラドヴァージャ

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、大きな青銅の鉢に乳粥を盛って、師(ブッダ)にささげた。――「ゴータマさまは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。ゴータマさまは甘露の果実(みのり)をもたらす耕作をなさるのですから。」


八一 詩を唱えて(報酬として)得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥(しりぞ)ける。バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

八二 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 詩の報酬としての乳粥は受け取らないけれども、他の飲食をささげよとは? 単に乳粥が嫌いだというのであれば、「聖☆おにいさん」の通りですが、まさか好き嫌いで乳粥を断っているわけではないでしょうねえ。

 註を見ます。

 ここの趣意は、「バラモンはヴェーダの詩を唱えて、食物などの謝礼を受ける。しかし仏教の修行者はそれを廻して貰って食べてはならない」ということなのであろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 しかしこのばあい、バラモンに対して詩を唱えたわけで、バラモンが得た食物を廻して貰ったわけではないですよねえ。「バラモンのような方法で食物を得ることはない」ということでしょうか。それなら話はわからないでもないですけれど、そうなると、「法布施(法施)」と「財布施(財施)」を等価交換するという日本の仏教はヒンドゥー的ということになってしまうのでしょうか……やはりなんというか、難しいですねえ。

八二 全き人――原語は kevalin であるが、註にしたがって解した(略)。

 大仙人――mahesi(=Skrt. maharsi).

 煩悩の汚れ――asava. 仏典では、欲の汚れ、生存の汚れ、無明の汚れ、の三種を説く(略)。それを談ずることも説かれる(略)。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

[][][][]子路第十三を読む(その3) 19:57 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

必ずや名を正さんか

 子路第十三(303~332)

305 子路曰。衛君待子而為政。子将奚先。子曰。必也正名乎。子路曰。有是哉。子之迂也。奚其正。子曰。野哉。由也。君子於其所不知。蓋闕如也。名不正。則言不順。言不順。則事不成。事不成。則礼楽不興。礼楽不興。則刑罰不中。刑罰不中。則民無所措手足。故君子名之必可言也。君子於其言。無所苟而已矣。

(訓)子路曰く、衛君、子を待ちて政を為さば、子は将に奚れをか先にせんとする。子曰く、必ずや名を正さんか。子路曰く、是あるかな、子の迂なるや。奚んぞ其れ正さん。子曰く、野なるかな、由や。君子はその知らざる所において、蓋し闕如たり。名正しからざれば、言うこと順ならず。言うこと順ならざれば、事成らず。事成らざれば、礼楽興らず。礼楽興らざれば、刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、民手足を措くところなし。故に君子はこれを名すれば、必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子はその言において、苟くもするところなきのみ。

(新)子路曰く、もし衛君が先生に頼んで政治を任されたら、先生は何から着手されますか。子曰く、何をおいてもスローガンを正しくしなければならぬ。子路曰く、いやはや先生のいつもの世間知らずには恐れ入った。どうしてそんなことが直ぐできるものですか。子曰く、粗忽者の由に恐れ入るのは此方だな。自分の知らないことは、知らないこととして口出ししないものだ。スローガンが正しくなっていなければ、政策に筋道が通らぬ。政策の筋道が通らなければ、政権が安定しない。政権が安定しなければ、教育が進まない。教育が進まなければ、裁判が間違う。裁判が間違ってきたなら、人民は手足を動かすことにも不安がつきまとうことになる。だから良い政治には、スローガンが必要で、スローガンに従って政策が立てられ、政策が立てられたら、必ずそれが実行されなければならぬ。但しその政策はあくまで慎重に議論された上に立てられることが必要だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「スローガン」とかいうとなんだか学生運動とか、共産圏の「五カ年計画」とかそういうのを思い起こしてしまいますねえ。

 普通、「名を正す」は「君主を君主、臣下を臣下」として扱うような、名称と実質を一致させる事と解釈するようですが、宮崎先生のような解釈でも筋道は通りますね。


 「子曰。野哉。由也。君子於其所不知。蓋闕如也。」のくだりですが、これも宮崎先生の意訳に恐れ入るのは此方ですね。ホントに。

 ただ、金谷先生の解釈を見ると、

「がさつだね、由は。君子は自分の分からないことではだまっているものだ。」

金谷治『論語』岩波文庫

 とあり、しかしこれは進取の気性を重んじる儒学の立場からするとおかしな解釈になるのではないでしょうか。加地先生も、

「現実的すぎるぞ、由(子路)よ。教養人たる者は、自分がよく知らないことについては、知らないままにすることだ。」

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 としており、また吉川先生も

無教養だね、君は。紳士は知らないことに対しては、黙っているべきだ

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 です。到底納得できません。宇野先生の

「いやしい男だ、由(子路の名)は。君子は己の明らかに知らないことは、しばらく闕(お)いて考え問うもので、そのよう軽卒には言わないものだ。」

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 というのであれば、話がようやく分かります。司馬牛が考えてから喋れと言われたのと共通するからです。

 「知らないことに関しては沈黙しておけ」というのは、http://katawareboshi01.g.hatena.ne.jp/mori-tahyoue/20090409/1239274872:title=「知らざるを知らずと為す、これ知るなり」の事だというのが吉川先生の解釈の根拠ですが、それは師弟の問答のときは別ではないでしょうかねえ。


 また、この言葉が特殊な背景をもっているかについては、

 大体は、以上のように訳されるこの条は、「史記」の「孔子世家」によれば、特殊な背景のもとになされた対話である。すなわちBC四八八、孔子六十四歳で、衛のくににいたとき、そこでは、深刻な御家騒動がおこっていた。すなわち五年前、衛の霊公がなくなったあと、その子の蒯聵(かいかい)が、父の不興を蒙って国外に放逐中であるため、蒯聵の子にあたり、霊公からは孫にあたる輒(ちょう)が、亡祖父の意志により、父をとびこえて、在位していたが、国外にいる蒯聵は、王位継承権を主張して、しきりに帰国を運動するという、複雑微妙な状態にあった。輒は、祖父の意志を重んずれば在位すべきであり、父の意志を重んずれば、父を迎えて譲位すべき立場にある。問題をめぐって、国内的な党派の抗争があるばかりでなく、国際的にも、大国晋が蒯聵の後援者であるなど、利害を伴う関心事であった。そうして孔子やその弟子たちのように、人間の道徳について考える人たちにとっては、別の意味で、大きな関心事であった。さきの述而第七に見えた「冉有曰く、夫子は衛の君を為(たす)けんか」も、かの条で説いたごとくであるが、この条も、同じ関心の中で生まれた問答だと、司馬遷はする。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 述而第七の話で言うなら、夫子は輒の在位を認めない立場なのですから、衛君に招かれて「名を正す」ということになれば、とうぜん「父父子子」ということになるでしょう。政治一般の心がけ、の話ではなくて、現在の衛君に譲位を迫るという剣呑な話になります。たしかに、子路が軽々に受け答えするような話題ではないのかもしれません。どころか、子路は結局この衛の内乱の中で死んでゆくわけですからね。野暮ったいことを言っている場合じゃないのですよ、本当に。