蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-22

[][][][]子路第十三を読む(その3) 19:57 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

必ずや名を正さんか

 子路第十三(303~332)

305 子路曰。衛君待子而為政。子将奚先。子曰。必也正名乎。子路曰。有是哉。子之迂也。奚其正。子曰。野哉。由也。君子於其所不知。蓋闕如也。名不正。則言不順。言不順。則事不成。事不成。則礼楽不興。礼楽不興。則刑罰不中。刑罰不中。則民無所措手足。故君子名之必可言也。君子於其言。無所苟而已矣。

(訓)子路曰く、衛君、子を待ちて政を為さば、子は将に奚れをか先にせんとする。子曰く、必ずや名を正さんか。子路曰く、是あるかな、子の迂なるや。奚んぞ其れ正さん。子曰く、野なるかな、由や。君子はその知らざる所において、蓋し闕如たり。名正しからざれば、言うこと順ならず。言うこと順ならざれば、事成らず。事成らざれば、礼楽興らず。礼楽興らざれば、刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、民手足を措くところなし。故に君子はこれを名すれば、必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子はその言において、苟くもするところなきのみ。

(新)子路曰く、もし衛君が先生に頼んで政治を任されたら、先生は何から着手されますか。子曰く、何をおいてもスローガンを正しくしなければならぬ。子路曰く、いやはや先生のいつもの世間知らずには恐れ入った。どうしてそんなことが直ぐできるものですか。子曰く、粗忽者の由に恐れ入るのは此方だな。自分の知らないことは、知らないこととして口出ししないものだ。スローガンが正しくなっていなければ、政策に筋道が通らぬ。政策の筋道が通らなければ、政権が安定しない。政権が安定しなければ、教育が進まない。教育が進まなければ、裁判が間違う。裁判が間違ってきたなら、人民は手足を動かすことにも不安がつきまとうことになる。だから良い政治には、スローガンが必要で、スローガンに従って政策が立てられ、政策が立てられたら、必ずそれが実行されなければならぬ。但しその政策はあくまで慎重に議論された上に立てられることが必要だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「スローガン」とかいうとなんだか学生運動とか、共産圏の「五カ年計画」とかそういうのを思い起こしてしまいますねえ。

 普通、「名を正す」は「君主を君主、臣下を臣下」として扱うような、名称と実質を一致させる事と解釈するようですが、宮崎先生のような解釈でも筋道は通りますね。


 「子曰。野哉。由也。君子於其所不知。蓋闕如也。」のくだりですが、これも宮崎先生の意訳に恐れ入るのは此方ですね。ホントに。

 ただ、金谷先生の解釈を見ると、

「がさつだね、由は。君子は自分の分からないことではだまっているものだ。」

金谷治『論語』岩波文庫

 とあり、しかしこれは進取の気性を重んじる儒学の立場からするとおかしな解釈になるのではないでしょうか。加地先生も、

「現実的すぎるぞ、由(子路)よ。教養人たる者は、自分がよく知らないことについては、知らないままにすることだ。」

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 としており、また吉川先生も

無教養だね、君は。紳士は知らないことに対しては、黙っているべきだ

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 です。到底納得できません。宇野先生の

「いやしい男だ、由(子路の名)は。君子は己の明らかに知らないことは、しばらく闕(お)いて考え問うもので、そのよう軽卒には言わないものだ。」

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 というのであれば、話がようやく分かります。司馬牛が考えてから喋れと言われたのと共通するからです。

 「知らないことに関しては沈黙しておけ」というのは、http://katawareboshi01.g.hatena.ne.jp/mori-tahyoue/20090409/1239274872:title=「知らざるを知らずと為す、これ知るなり」の事だというのが吉川先生の解釈の根拠ですが、それは師弟の問答のときは別ではないでしょうかねえ。


 また、この言葉が特殊な背景をもっているかについては、

 大体は、以上のように訳されるこの条は、「史記」の「孔子世家」によれば、特殊な背景のもとになされた対話である。すなわちBC四八八、孔子六十四歳で、衛のくににいたとき、そこでは、深刻な御家騒動がおこっていた。すなわち五年前、衛の霊公がなくなったあと、その子の蒯聵(かいかい)が、父の不興を蒙って国外に放逐中であるため、蒯聵の子にあたり、霊公からは孫にあたる輒(ちょう)が、亡祖父の意志により、父をとびこえて、在位していたが、国外にいる蒯聵は、王位継承権を主張して、しきりに帰国を運動するという、複雑微妙な状態にあった。輒は、祖父の意志を重んずれば在位すべきであり、父の意志を重んずれば、父を迎えて譲位すべき立場にある。問題をめぐって、国内的な党派の抗争があるばかりでなく、国際的にも、大国晋が蒯聵の後援者であるなど、利害を伴う関心事であった。そうして孔子やその弟子たちのように、人間の道徳について考える人たちにとっては、別の意味で、大きな関心事であった。さきの述而第七に見えた「冉有曰く、夫子は衛の君を為(たす)けんか」も、かの条で説いたごとくであるが、この条も、同じ関心の中で生まれた問答だと、司馬遷はする。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 述而第七の話で言うなら、夫子は輒の在位を認めない立場なのですから、衛君に招かれて「名を正す」ということになれば、とうぜん「父父子子」ということになるでしょう。政治一般の心がけ、の話ではなくて、現在の衛君に譲位を迫るという剣呑な話になります。たしかに、子路が軽々に受け答えするような話題ではないのかもしれません。どころか、子路は結局この衛の内乱の中で死んでゆくわけですからね。野暮ったいことを言っている場合じゃないのですよ、本当に。