蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-22

[][][]蛇の章を読む(その16) 20:23 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

ゴータマさまは乳粥をめしあがれ

第一 蛇の章

四、田を耕すパーラドヴァージャ

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、大きな青銅の鉢に乳粥を盛って、師(ブッダ)にささげた。――「ゴータマさまは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。ゴータマさまは甘露の果実(みのり)をもたらす耕作をなさるのですから。」


八一 詩を唱えて(報酬として)得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥(しりぞ)ける。バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

八二 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 詩の報酬としての乳粥は受け取らないけれども、他の飲食をささげよとは? 単に乳粥が嫌いだというのであれば、「聖☆おにいさん」の通りですが、まさか好き嫌いで乳粥を断っているわけではないでしょうねえ。

 註を見ます。

 ここの趣意は、「バラモンはヴェーダの詩を唱えて、食物などの謝礼を受ける。しかし仏教の修行者はそれを廻して貰って食べてはならない」ということなのであろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 しかしこのばあい、バラモンに対して詩を唱えたわけで、バラモンが得た食物を廻して貰ったわけではないですよねえ。「バラモンのような方法で食物を得ることはない」ということでしょうか。それなら話はわからないでもないですけれど、そうなると、「法布施(法施)」と「財布施(財施)」を等価交換するという日本の仏教はヒンドゥー的ということになってしまうのでしょうか……やはりなんというか、難しいですねえ。

八二 全き人――原語は kevalin であるが、註にしたがって解した(略)。

 大仙人――mahesi(=Skrt. maharsi).

 煩悩の汚れ――asava. 仏典では、欲の汚れ、生存の汚れ、無明の汚れ、の三種を説く(略)。それを談ずることも説かれる(略)。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫