蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-24

[][][][]子路第十三を読む(その5) 19:37 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

詩三百を誦す

 子路第十三(303~332)

307 子曰。誦 詩三百。授之以政不達。使於四方。不能専対。雖多亦奚以為。

(訓)子曰く、詩三百を誦す。これに授くるに政を以てして達せず。四方に使いして専対する能わずんば、多しと雖も亦奚(なに)を以て為さん。

(新)子曰く、詩経の三百篇をまるまる暗誦する勉強をした。さてこの人に政治を任せたが運営できない。外国へ使者に出されたが、自己の決断力で交渉を纏めることができない、としたならば、長い間の詩経の勉強はいったい何の役に立つのか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 詩三百、思い邪なし、というくらい、孔子の教団では重要視された詩経です。詩を学ぶことによって、人は社会における人情や風俗のありよう、道義のありかを学ぶことができます。が、詩経を学ぶことが重要ではなくて、あくまでそれは為政者としての教養であって、もちろん教養がないものに政治を執ることなどできないのですが、逆に教養があるからといって政治がとれるとはかぎらないこともあるわけで、それは学んだことにならない、というのでしょう。


 たしかに、何かを実現するための手段としての研究や学問があるのにもかかわらず、それが自己目的化してしまう人というのもいますよね。あるいは、評論家タイプで、岡目八目だからいいことが言えるのを自分の能力が高いからだと勘違いして、無責任なときには饒舌ですが責任ある立場につくと一気に……うーん、一体誰のことだろう? この話はこの辺でやめておきますね。