蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-27

[][][]蛇の章を読む(その20) 21:06 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

破滅への門は何ですか?

第一 蛇の章

六、破滅

 わたくしが聞いたところによると、――あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、(孤独なる人々に食を給する長者)の園におられた。そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ、ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。近づいてから師に敬礼して傍らに立った。そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。

九一 「われらは、(破滅する人)のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか? 師にそれを聞こうとしてわれらはここに来たのですが、――。」

九二 (師は答えた)「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」

九三 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第一の破滅です。先生! 第二のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 とりあえずここまで。

 註。

 サーヴァッティー――Savatthi. 「舎衛城」などと訳す。

 ジェータ林――Jetavana. 一般に「祇園」と訳されている。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

九一 ゴータマ――Gotama. 「ゴータマ」は「最もよき牛」という意味であり、ブッダ(釈尊)の姓(gotta)の名である。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 なるほど……というか、どうしてゴータマさんが初出のとき(田を耕すバラモン・バーラドヴァージャの回)にこの註がなかったのでしょうか。

 ところで神は人間よりも一段と格が上であるから、釈尊に呼びかける場合にも、ただ「ゴータマよ!」といって、尊称や敬称を用いないのである。バラモンが釈尊に呼びかける場合も同様であった。例えば、バラモンである大臣ヴァッサカーラも、「きみ、ゴータマよ!」(bho Gotama!)といって呼びかけている(Mhp,Ⅰ、3)。釈尊は王族(クシャトリヤ)の出身であり、ヴァッサカーラはバラモンであったから、いくらかさげすんで、このように呼んだのである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 なるほど、しかし、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは「ゴータマさん」と呼んでいましたよねえ、問答に感服してからは「ゴータマさま」だったのですが、バーラドヴァージャさんは仏教側の人だからカーストとは別なのでしょうか。

 あと、神が「一人」とあるのに「われら」とか言うのは、the royal "we" 的な用法なのかしらん。

九三 先生!――bhagava. 呼びかけである(主格ではない。主格ならば次の語がbruhi とはならぬ)。インドでは弟子は、師に対してこの呼びかけを用いる。(略)最初期の仏典は、インド一般のこの風習を受けているのである。故にゴータマ・ブッダが人間らしく叙述されている箇所(特に呼びかけ)では「先生」と訳し、これに対していくらか神格化されている場合には「尊師」と訳した。漢訳では「世尊」という。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「尊師」も、いやな言葉になりましたからね。難しいものです(人間社会とは)。