蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-28

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見知らぬ海へ (講談社文庫)

見知らぬ海へ (講談社文庫)

 またですか。

 また未完ですよ。せっかく面白くなってきたところで、いきなり終わるって、やめませんか。小説家は死んだらいけないと思います。


[][][]蛇の章を読む(その21) 19:53 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その21) - 蜀犬 日に吠ゆ

破滅への門は何ですか?


 前回の、神の質問から

九三 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第一の破滅です。先生! 第二のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

第一 蛇の章

六、破滅

九四 「悪い人々を愛し、善い人々を愛することなく悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である。」

九五 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第二の破滅です。先生! 第三のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

九六 「睡眠の癖(くせ)あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたる人がいる、――これは破滅への門である。」

九七 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第三の破滅です。先生! 第四のものを説いてください。破滅への門は何ですか?

九八 「みずからは豊かで楽に暮しているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、――これは破滅への門である。」

九九 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第四の破滅です。先生! 第五のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一〇〇 「バラモンまたは(道の人)または他の(もの乞う人)を、嘘をついてだますならば、これは破滅への門である。」

一〇一 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第五の破滅です。先生! 第六のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一〇二 「おびただしい富があり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいものを食べるならば、これは破滅への門である。」

一〇三 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第六の破滅です。先生! 第七のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一〇四 「血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも己(おの)が親戚を軽蔑する人がいる、――これは破滅への門である。」

一〇五 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第七の破滅です。先生! 第八のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一〇六 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、――これは破滅への門である。」

一〇七 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第八の破滅です。先生! 第九のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 これは、仏教における戒めととらえてよいのでしょうね。

 九四、愛は盲目ですから、善いものを愛するのは難しいのでしょう。

 九六、仏教は、あれをしないこれをしないという消極的な発想ではないということでしょうね。坐禅と称し瞑想と称して居眠りする人はいそうです。集会もいけないというのは、仏道修行が基本的には独りでするものであるということを示していると思います。

 註。九八

 「みずから豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる」ということは、日本の農村では考えられないことである。現代のインドでも、大学教授が、「欧米では、息子夫婦が親と離れて別居して暮らすそうですね! こんなことはインドでは考えられません」と、驚きの念を以て語る。ところが昔のインドで、こういう親との別居が実際に起っていた。それは、その時代に貨幣経済が急激に進展して、富裕な人々が都市に出現したので、富裕になった若い者どもが親と離れて暮らすことも起ってきたので、それに言及しているのである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 別居と養育しないこととは、また別問題とは思いますが、そもそも出家して修行して暮らす人は「豊かで楽に暮ら」すということがないので仏教徒にはいらない忠告のような気もします。在家にとどまるのであれば、母や父の面倒を見るくらいはしなさいよ、ということでしょうか。

 一〇〇

 バラモンまたは道の人――原文にはbrahmana, samana(「努める人」の意。Skr.samana. 漢訳では「沙門」と訳す)という語を使っている。バラモンはバラモン教の司祭者でヴェーダ聖典を奉じ、それに規定されている祭を実行する。(道の人)はそれ以外の修道者で、ヴェーダ聖典を奉じない。この二種が当時の宗教家の二大別

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 嘘をついてだます――これらの修行者に、「何でも欲しい資具をいって下さい」といって、言わせておいて、あとでそれを与えないならば、だましたことになる。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 細かいことを言いますねえ。まあ師ブッダもぬか喜びさせられたりして恨みがあるのかもしれませんが、水に流しましょうよ。

一〇四 血統――jati. 「生れ」、さらに「階級」の意味がある。また「族」の意味に用いられることもある。例えば今のヒンディー語でカニシカ王などの「クシャーナ族」のことを Kusan jati という。

 氏姓――gotta(Skr. gotra).「氏姓」「種姓」と訳され得る。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 バラモン教はヒンドゥー教ですからね。民主主義にどっぷり浸かった身からすると、こういうカースト的な身分差別が、近代国家にどんなメリットがあってインドで存続しているのか理解不能だったりします。

 インドの一般法典の規定のよると、同じ階級に属するが異なった姓(gotra)の間で結婚することに定められている。もしもこの規定が厳重に守られていたなら、「己が親戚(nati)を軽蔑する」ということは起らなかったであろう。ところがおそらくこの時代には、結婚に関する窮屈な規定が必ずしも守られていなかったから、「己が親戚を軽蔑するな」という教えが説かれたのであろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 生きとし生けるものを平等とする仏教なのですから、こんな差別を事を言わなくてもいいと思うのですが。

 それとも、これも「在家でいるうちは、バラモン教の規定も大事にしなよ」ということなのでしょうか。

一〇六 俗な表現であるが、世間でよく「飲む、打つ、買う」が身を滅ぼすもとであると言うように、それと同じことが説かれている。人間というものは、何千年たっても変らないものだということが解る。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 仏教関係ない。しかしたしかにこの章で師ブッダが述べているのは、よくある世俗的な道徳観念というか、おやじやおふくろの叱言のようなことばっかりですね。


[][][][]子路第十三を読む(その9) 19:53 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

期月のみにして可ならん

 子路第十三(303~332)

312 子曰。苟有用我者。期月而已可也。三年有成。

(訓)子曰く、苟しくも我を用いる者あらば、期月のみにして可ならん。三年にして成るあらん。

(新)子曰く、仮に私に政治を任す人があったら、一年でも、それだけの効果があがろう。三年にもなれば、ひと仕事、完成できよう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 三年ですか。その仕事の内容にもよりますが、政治というのが時間のかかるものであることは分かります。

 二句さきを見るに、教育は、さらに先を見て行うものですけれどもね。


期月のみにして可ならん

 子路第十三(303~332)

313 子曰く、善人為邦百年。亦可以勝残去殺矣。誠哉是言也。

(訓)子曰く、善人、国を為(おさ)むること百年ならば、亦た以て残に勝ち殺を去るべし、と。誠なるかな、是の言や。

(新)子曰く、善人が続いて国を治めること百年に及べば、始めて無道に打ち勝ち、人殺しをなくすことができるとあるが、この言葉は良く言ったものだとつくづく感心する。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 政策を実現するには、三年。国内から無道な行いを駆逐して殺人事件など起きないような社会をつくるためには、百年はかかる、と。それは一人の為政者の手に余ることであり、善人の政治が何代も続いてくれなければならない、と。「殺」は、死刑に価するような悪行、という解釈もあるそうです。

 善人は必ずしも聖人でなくとも、という含みでしょうし、また無道が行われないというのは理想的な国の状態とはいえず、単に犯罪が少ないだけ、という限定はあります。しかしそれでも百年先まで考えて政治を行わなければ実現は難しい、ということになります。道は遠い。


如し王者あらんも

 子路第十三(303~332)

314 子曰。如有王者。必世而後仁。

(訓)子曰く、如し王者あらんも、必ず世にして後に仁たらん。

(新)子曰く、如し立派な王者が現れても、やはり三十年たたなければ世間の人気がよくならぬだろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 王者は天命を受けて世界を支配する者。であっても、民を徳で感化するのには三十年かかると。道は遠い。

 世は卅(三十)のことだそうで、一世代かかる、という意味だそうです。