蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-29

[][][]蛇の章を読む(その22) 20:48 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

破滅への門は何ですか?


 前回の、神の質問から

一〇七 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第八の破滅です。先生! 第九のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

第一 蛇の章

六、破滅

一〇八 「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、――これは破滅への門である。」

一〇九 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第九の破滅です。先生! 第十のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一一〇 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上った乳房のある若い女を誘(ひ)き入れて、かの女についての嫉妬から夜も眠られない、これは破滅への門である。」

一一一 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十の破滅です。先生! 第十一のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一一二 「酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実験を託すならば、これは破滅への門である。」

一一三 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十一の破滅です。先生! 第十二のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

一一四 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少ないのに欲望が大きくて、

  この世で王位を獲(え)ようと欲するならば、

  これは破滅への門である。

一一五 世の中にはこのような破滅のあることを考察して、

  賢者・すぐれた人は真理を見て、

  幸せな世界を体得する。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 あいかわらず、世俗的な道徳を繰り返す、の巻。

 註。

一〇八 では、他人の妻でもなく、遊女(vesiya)でもない女たちを玩ぶことはどうなのか? ガール・ハントをしてもよいか、どうか。恐らく当時は若い男女の交際はあまり自由ではなかったので、そのことは問題とされなかったのだろう。現代のインドにおいても、若い男女の交際に関する制約は、一般に厳しい。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 という社会状況におんぶにだっこされるのであれば、師ブッダの言葉は限定的であり、普遍の真理というてんからすると価値が低くなってしまうようにも思います。この節単体をとりだすならば、仏教の教えには不備があると言われても仕方のないところです。

一一〇 ティンバル果――timbaru, tinduka ともいう。樹木の名。漢訳名は不明。(略)満久崇麿『仏典の植物』(八坂書房、昭和五二年四月、一二五―一二七頁)によると「インドガキ(鎮頭迦、ちんずうか)」といわれ、「インドガキの材はカキ属特有の艶のある緻密な木肌をしており、辺材は明るい淡褐色であるが、心材は灰褐色に黒色の縞が不規則に走っている。縞が少く工芸的価値は黒檀に比較して低いが、強くて工具類の柄に適し、時には縞黒檀として通用することもある」という。

 そうして、本書のこの箇所については「緑の葉の間からちょうどビワの実のような橙黄色から橙紅色の可愛いい実がちらちらとのぞいている様は乳房というよりは乳首といった方がふさわしい。乳房はむしろターラ(オオギヤシ)の実の方で……」と説明している。しかし何にもとづいたのか立論の根拠は不明で。ブッダゴーサは特に説明は述べていない。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 立論、というほどのものか?

 註解によると、「『青春を過ぎた男が』というのは、青春を過ぎて、八十または九十となって、という意味である。『誘き入れて』というのは、所有する(pari-ganhati)ということである。『ティンバル果のような乳房のある女を』(timbarutthani)というのは、『ティンバルの果実にも似た乳房のある若い少女を』ということである。『かの女についての嫉妬から夜も眠られない』とは、『若い女にとっては老いぼれ(mahallaka)と快楽に耽ったり、共に住むのは、楽しくない。(他の)ひとが若い女を求めることがないように』という嫉妬の故に、彼女を大切に護って眠られない。かれは愛欲(kamarga)と嫉妬に焼きつけられて(dayhanto)、外では事業に努めないから、破滅してしまうのである」(Pj.p.172)という。邦語で嫉妬することを「やく」という。そこまでも同じである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 同じかなあ。あと、青春を過ぎて、というのが八十代、九十代であるというのも、にわかには信じがたい。青春まっただ中であっても女を所有するなどということそのものが許されない、というのは現代的感覚でしょうけれども、子を生み、育て、という観念からも、八十を超えてはあまりに無責任でしょう。

 これを近年の表現に翻訳すると、「老いらくの恋」はいけないということになるのであろうか。ネパールでは、結婚の際に男女の年齢差が二十歳以上ある場合には、禁止されているが、それはこのような趣意を生かしているのであろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 一一二

 仏教では酒は後代に至るまで禁止されているが(タントラ的密教を除く)、さらに肉食に耽溺することも好まなかったことが解る。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 斎戒中は肉食も禁止でしょうに。なんというか、師ブッダは適当すぎます。

一一五 幸せな世界を体得する――sa lokam bhajate sivam. 幸せな世界を体得すると気づいた境地が(幸せな世界)である、というのであろう。パーリ文の註にはsiva loka=devaloka と解して、「幸せな世界」とは「神々の世界」をいうのだと解するが、それは善き在俗信徒は死後に神々の世界に生まれると解する後代の見解をここにもち込んでいるのである。本文に関する限り、そのように解する必要はない。ことに原文のbhajateは「あずかる」「享受する」というほどの意味である。「天」という別の場所に到達することを意味しているのではない。いま生きているこの場所に(幸せな世界)が存在するのである。

 以上、この一節においては、悪いと思ったことを、ただ思いつくままに述べているのである。体系化されていない。五戒、八斎戒というよな、徳目の体系化がなされる以前の段階の教えであろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 ちょっと待て、菩提樹の下でこの世の真理を見極めてから、語り出したんと違うんかい。思いつきでべらべら喋られると、信者が苦労するというのに、師ブッダと来た日には……