2010-02-26
■ [筆記][国文]逝きし人の俤と、再会~~三島由紀夫『恋の都』ちくま文庫 

- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/04/09
- メディア: 文庫
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『主婦の友』連載の恋愛小説。
■ [書留][儒教][憲問第十四][宮崎市定]憲問第十四を読む(その11) 
子路、成人を問う
憲問第十四(333~379)
345 子路問成人
(子)曰。若臧武仲之知。公綽之不欲。卞荘子之勇。冉求之芸。文之以礼楽。亦可以為成人矣。子曰。今之成人者。何必然。見利思義。見危授命。久要不忘平生之言。亦可以為成人矣。(訓)子路、成人を問うて曰く、臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸あるが若くして、これを文(かざ)るに礼楽を以てすれば、亦た以て成人となすべきか。子曰く、今の成人なる者は何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要に平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為すべし。
(新)子路が人物としての及第点を尋ねて言った。臧武仲のような知性、孟公綽のような無欲、卞荘子のような勇気、それに冉求のような才芸があって、なおその上に礼楽の教養で磨きをかけたなら、人物として及第点が与えられましょうか。子曰く、今の及第点は到底そんな贅沢は言っておれないな。ずっと程度を引下げて、利益を前にしては、それが正義か不義かを考えて立止まり、危険な場合には生命を投出す覚悟があり、どんな時にも平生口にしていた言葉を忘れないでいる人があったら、さっさと及第点をつけられるよ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-25
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その36) 
かれは欲望の享楽に耽らない
第一 蛇の章
九、雪山に住む者
一六〇 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは欲望の享楽に耽らないだろうか? その心は濁っていないだろうか? 迷妄を超えているだろうか? 諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっているだろうか?」
一六一 七岳という神霊は答えた、「かれは欲望の享楽に耽らない。またその心は濁っていない。すべての迷妄を超えている。目ざめた人として諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっている。」
一六二 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは明知を具えているだろうか? 彼の行いは全く清らかであろうか? かれの煩悩の汚れは消滅しているであろうか? 彼はもはや再び世に生まれるということがないであろうか?」
一六三 七岳という神霊は答えた、「かれは明知を具えている。また彼の行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。彼はもはや再び世に生まれるということがない。」
一六三a (雪山に住む者という神霊がいった)、「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。明知と行いとを完全に具えているかれを汝が讃嘆するのは、当然である。」
一六三b 「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。かれに、そなたが随喜するのは、当然である。」
一六四 (七岳という神霊がいった)、「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。さあ、われらは明知と行いとを完全に具えているゴータマに見えよう。」
一六五 (雪山に住む者という神霊がいった)、「かの聖者は羚羊(かもしか)のような脛があり、痩せ細って、聡明であり、少食で、貪ることなく、森の中で静かに瞑想している。来たれ、、われらはゴータマ(ブッダ)に見えよう。
一六六 諸々の欲望をかえりみることなく、あたかも獅子のように象のように独り行くかれに近づいて、われらは尋ねよう、――死の縛めから解き放たれる道を。」
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-23
■ [筆記][FT]『ソングシーカー』新紀元社 

ローズトゥロード リプレイ ソングシーカー (Role&Roll Books)
- 作者: 小林正親,門倉直人,相沢美良
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2006/03/10
- メディア: 単行本
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「ローズ」も最近復刻して活躍しているんですよね。素晴らしいことです。プレイしたことないけど。
■ [書留][儒教][憲問第十四][宮崎市定]憲問第十四を読む(その8) 
或るひと子産を問う。子西を問う。管仲を問う。
憲問第十四(333~379)
342 或問子産。子曰。恵人也。問子西。曰。彼哉彼哉。問管仲。曰□人也。奪伯氏駢邑三百。飯疏食。没歯無怨言。
(訓)或るひと子産を問う。子曰く、恵人(けいじん)なり。子西(しせい)を問う。彼れをや、彼れをや。管仲を問う。曰く、□人なり。伯氏の駢邑(べんゆう)三百を奪う。疏食(そし)を飯(くら)い、歯(し)を没するまで怨言なかりき。
(新)或るひとが子産について尋ねた。子曰く、慈悲深い人だ。子西について尋ねた。曰く、あんな人ではね、あんな人だとね。管仲を問う。曰く、(?)人とでも言うべきでしょうね。伯氏の駢という邑にある三百戸の知行を没収した。伯氏は食べ物にも不自由しながら、死ぬまで怨みごと一つ言わなかった。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-19
■ [書留][三国]囲棊は清談~~『世説新語・顔氏家訓』中国古典文学大系 平凡社 

- 作者: 劉義慶,顔之推,森三樹三郎
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1969/04/01
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巧芸篇 第二十一
一〇
王中郎*1は囲棊を「坐せる隠遁」であるとし、支公*2は「手による清談」であるとした*3。
『世説新語・顔氏家訓』中国古典文学大系 平凡社
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その35) 
かれは与えられないものを取らないであろうか
第一 蛇の章
九、雪山に住む者
一五六 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは与えられないものを取らないであろうか? かれは生きものを殺さないように心がけているだろうか? かれは怠惰から遠ざかっているであろうか? かれは精神の統一をやめないであろうか?」
一五七 七岳という神霊は答えた、「かれは与えられないものを取らない。かれは生きものを殺さないように心がけている。かれは怠惰から遠ざかっている。目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることがない。」
一五八 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは嘘をつかないであろうか? 粗暴なことばを発しないだろうか? 中傷の悪口を言わないだろうか? くだらぬおしゃべりを言わないだろうか?」
一五九 七岳という神霊は答えた、「かれは嘘をつかない。また粗暴なことばを発しない。また中傷の悪口を言わない。くだらぬおしゃべりを言わない。」
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-18
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その34) 
立派な人のこころは
第一 蛇の章
九、雪山に住む者
一五三 七岳という神霊(夜叉)がいった、「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ、われわれは世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」
一五四 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった、「このような立派な人のこころは一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されているのであろうか?」
一五五 七岳という神霊は答えた、「このような立派なかれ(ブッダ)のこころは、一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、彼の意欲は能く制せられている。」
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-17
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その33) 
欺いてはならない
第一 蛇の章
八、慈しみ
一四八 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
一四九 あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。
一五〇 また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起すべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
一五一 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
一五二 諸々の邪まな見解にとらわれず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-16
■ [書留][随筆]文化の罪人~~高島俊男『芭蕉のガールフレンド』お言葉ですが9 文春文庫 
こいすちょう流
新かな(現代かなづかい)は、それを制定したときの内閣告示の前書きにも明記する通り、現代口語文を書く際のかなづかいである。文語文に適用はできない。
高島俊男『芭蕉のガールフレンド』文春文庫
ちゃんとしようよ、という話。
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その32) 
平安の境地に達してなすべきこと
第一 蛇の章
八、慈しみ
一四六 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
一四七 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-15
2010-02-13
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その31) 
平安の境地に達してなすべきこと
第一 蛇の章
八、慈しみ
一四三 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。
一四四 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
一四五 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-12
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その30) 
ゴータマさまに帰依したてまつる。
第一 蛇の章
七、賤しい人
このように説かれたときに、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは、師にいった、「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者を起すように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色を見るであろう』といって暗夜に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで法を明らかにされました。ですから、わたくしは、ゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまは、わたくしを在俗信者として受けいれてください。今日以後命の続く限り帰依いたします。」
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その21) 
切切、偲偲、怡怡如たらば、士と謂うべきなり
子路第十三(303~332)
330 子路問曰。何如斯可謂之士矣。子曰。切切偲偲。怡怡如也。可謂士矣。朋友切切偲偲。兄弟怡怡。
(訓)子路、問うて曰く、何如(いか)なれば斯にこれを士と謂うべきか。子曰く、切切、偲偲(しし)、怡怡如(いいじょ)たらば、士と謂うべきなり。朋友には切切、偲偲たり。兄弟には怡怡たれ。
(新)子路が尋ねた。私どもはどのようにすれば求道の学徒たるの名に恥じないものといえましょうか。子曰く、きびしく、思いやりがあり、仲良くすれば、学徒というに値いする。朋友に対しては、厳しいうちにも思いやりがあり、兄弟に対しては、理窟ぬきに仲良くすることだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-11
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その29) 
生れによって賤しい人となるのではない
第一 蛇の章
七、賤しい人
一三六 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
一三七 わたくしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られて令名の高い人であった。
一三八 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。
一三九 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、欲情を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生れも、かれがブラフマンの世界に生まれることを妨げなかった。
一四〇 ヴェーダ読誦者(どくじゅしゃ)の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。
一四一 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、彼らが悪いところに生まれたまま非難されるのを防ぐことはできない。
一四二 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。」
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その20) 
君子は事え易くして説(よろこ)ばし難きなり
子路第十三(303~332)
327 子曰。君子易事而難説也。説之不以道。不説也。及其使人也。器之。小人難事而易説也。説之雖不以道。説也。及其使人也。求備焉。
(訓)子曰く、君子は事え易くして説(よろこ)ばし難きなり。これを説ばすに道を以てせざれば説ばざるなり。其の人を使うに及んでや、これを器とす。小人は事え難くして説ばし易きなり。之を説ばすに道を以てせず雖も説べばなり。其の人を使うに及んでや、備わるを求む。
(新)子曰く、教養ある君主の下で働くのは働きやすいが、気に入られるのはむつかしい。気に入られようと努めても、道理に叶うのでなければ気に入られないからだ。しかし人を使うときには適当した仕事だけをやらせるから働きやすい。小人物の下では働きにくいが、気にいられるのは容易だ。取りいろうとすれば道理に叶わなくても、すぐ説ぶ。しかし人を使う時には何でもかでも見さかいなく用事を命(いい)つけるから、その下では働きにくいのだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-08

■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その18) 
人にして恒なければ、以て巫医を作すべからず
子路第十三(303~332)
324 子曰。南人有言曰。人而無恒。不可以為巫医。善夫。夫恒其徳。或承之羞。子曰。不占而已矣。
(訓)子曰く、南人言えることあり、曰く、人にして恒なければ、以て巫医を作(な)すべからず、と。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或いはこれに羞(はじ)を承(すす)む、とあり。子曰く、占わずして已まん。
(新)子曰く、南方で行われる諺に、バランスを失った人間は神意を伺う巫(みこ)や医者にかかっても益がない、とあるが、まったく同感だ。易経に、行動原理に中心点を欠く人間の将来を占えば、必ず悪い結果が出るのが常だ、とある。子曰く、全く占い以前の問題なのだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-07
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その28) 
かれを賤しい人であると知れ
第一 蛇の章
七、賤しい人
一三四 目ざめた人(ブッダ)をそしり、或いは出家・在家のその弟子(仏弟子)をそしる人、――かれを賤しい人であると知れ。
一三五 実際は尊敬さるべき人ではないのに尊敬さるべき人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人、――かれこそ実に最下の賤しい人である。
わたくしがそなたたちに説き示したこれらの人々は、実に(賤しい人)と呼ばれる。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その17) 
今の政に従う者は何如
子路第十三(303~332)
322 子貢問曰。何如斯可謂之士矣。子曰。行己有恥。使於四方。不辱君命。可謂士矣。曰。敢問其次。曰。宗族称孝焉。郷党称弟焉。曰。敢問其次。曰。言必信。行必果。硜硜然小人哉。抑亦可以為次矣。曰。今之従政者何如。子曰。噫。斗筲之人。何足算也。
(訓)子貢、問うて曰く、何如(いか)なれば斯(ここ)にこれを士と謂うべきか。子曰く、己を行うに恥あり。四方に使いして君命を辱めず。士と謂うべし。曰く敢て其の次を問う。曰く、宗族、孝を称し、郷党、弟を称す。曰く、敢て其の次を問う。曰く、言うこと必ず信、行うこと必ず果。硜硜然(こうこうぜん)として小人なるかな。抑も亦た以て次と為すべし。曰く、今の政に従う者は何如。子曰く、噫、斗筲(とそう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らんや。
(新)子貢が尋ねた。私どもはどのようにすれば求道の学徒たるの名に恥じないことになりましょうか。子曰く、自己の行為に全責任をもつ。外国に使いを出されて立派に使命を果すだけの力量をそなえる。それなら学徒と言ってよい。曰く、もう少し程度の低いところを教えて下さい。曰く、親族が口をそろえて孝行だといい、町内が一様に骨惜しみせぬと賞める人になることだ。曰く、もう一つ下の所を伺いたいと思います。曰く、言ったことは必ず守る。行うべきことに愚図愚図しない。大局的に見れば見識の狭い人間にすぎないが、それでもまだましな方と言えよう。曰く、現在の政治当局者はどの程度のでしょうか。子曰く、聞くだけ野暮だ。揃いも揃って小粒な帳面つけ役人で、問題にならぬ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-06
■ [筆記][漫画]トニーたけざき『ガンダム漫画』Ⅲ 角川書店 
オビに安彦先生が「また出すのかトニー!」とありますが、あんたはもっと出せ。

トニーたけざきのガンダム漫画 III (角川コミックス・エース 113-3)
- 作者: トニーたけざき
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/01/21
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2010-02-05
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その27) 
かれを賤しい人であると知れ
第一 蛇の章
七、賤しい人
一三一 この世で迷妄に覆われ、僅かの物が欲しくて、事実でない事を語る人、――かれを賤しい人であると知れ。
一三二 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、――かれを賤しい人であると知れ。
一三三 人を悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、――かれを賤しい人であると知れ。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-04
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その26) 
かれを賤しい人であると知れ
第一 蛇の章
七、賤しい人
一二八 他人の家に行っては美食をもてなされながら、客として来た時には、返礼としてもてなさない人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二九 バラモンまたは(道の人)、または他の(もの乞う人)を嘘をついてだます人、――かれを賤しい人であると知れ。
一三〇 食事の時がきたのに、バラモンまたは(道の人)を言葉で罵り食を与えない人、――かれを賤しい人であると知れ。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その15) 
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す
子路第十三(303~332)
320 葉公語孔子曰。吾党有直躬者。其父攘羊。而子証之。孔子曰。吾党之直者異於是。父為子隠。子為父隠。直在其中矣。
(訓)葉公、孔子に語りて曰く、吾が党に直躬(ちょくきゅう)なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)む。而して子、これを証せり。孔子曰く、吾党の直き者は是に異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中にあり。
(新)葉公が孔子に話した。私の領内に正直で名を取った者があって、その父が羊を盗んだときに、子がその事実を証言しました。孔子曰く、私の町内の正直者はそれとは全く違います。子に悪い点があれば父が匿してやり、父に悪い点があれば子が匿してやります。それが自然の性質に正直に従った行為と言うべきではありませんか。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
2010-02-03
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その25) 
かれを賤しい人であると知れ
第一 蛇の章
七、賤しい人
一二三 或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族または友人の妻と交わる人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二四 己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二五 母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵る人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二六 相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二七 悪事を行っておきながら、『誰も私のしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人、――かれを賤しい人であると知れ。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
2010-02-02
■ [書留][三国]劉伶の話~~『世説新語・顔氏家訓』中国古典文学大系 平凡社 
わたくし母里が尊敬する劉伶の事蹟を書き留めておきます。

- 作者: 劉義慶,顔之推,森三樹三郎
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1969/04/01
- メディア: 単行本
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■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その24) 
かれを賤しい人であると知れ
前回の終わりから。師ブッダが「賤しい人」とな何かを解きます。
第一 蛇の章
七、賤しい人
「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」
「どうぞ、お説きください」と、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師に答えた。師は説いていった、、
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
第一 蛇の章
七、賤しい人
一一六 「怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、――かれを賤しい人であると知れ。
一一七 一度生まれるもの(胎生)でも、二度生まれるもの(卵生)でも、この世で生きものを害し、生きものに対するあわれみのない人、――かれを賤しい人であると知れ。
一一八 村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、――かれを賤しい人であると知れ。
一一九 村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗み心をもって取る人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二〇 実際には負債があるのに、返済するように督促されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃れる人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二一 実に僅かの物が欲しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人、――かれを賤しい人であると知れ。
一二二 証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人、――かれを賤しい人であると知れ。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
これも、やはり通俗道徳に過ぎないのではないでしょうか。もう一歩、通俗の道徳を成り立たせている理論へ抽象化してもらいたいものですねえ。
2010-02-01
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その23) 
いったい賤しい人とはなにか
第一 蛇の章
七、賤しい人
わたくしが聞いたところによると、――あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、(孤独な人々に食を給する長者)の園におられた。そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。
そのとき火に事えるバラモン・バーラドヴァージャの住居には、聖火がともされ、供物(そなえもの)がそなえられていた。さて師はサーヴァッティーの中を托鉢して、かれの住居に近づいた。火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師が遠くから来るのを見た。
そこで、師にいった、「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの(道の人)よ、そこにおれ。賤しい奴よ、そこにおれ」と。
そう言われたので、師は、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャに言った、「バラモンよ。あなたはいったい賤しい人とはなにかを知っているのですか? また賤しい人たらしめる条件を知っているのですか?」
「ゴータマさん(ブッダ)。わたくしは人を賤しい人とする条件をも知ってないのです。どうか、わたくしが賤しい人を賤しいとさせる条件を知り得るように、ゴータマさんはわたくしにその定めを説いてください。」
「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」
「どうぞ、お説きください」と、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師に答えた。師は説いていった、
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
バーラドヴァージャさん、再び登場。田を耕すバラモン・バーラドヴァージャと同一人物なのかは解りません。
知らないでいきなり、ゴータマさんに「賤しい人」とか呼びかけたのだということはないでしょう。おそらく、托鉢の姿とかなにかバラモン教の基準自体はあるのでしょうから論争すればいいのに。
サーヴァッティーとは「舎衛城」、ジェータ林は「祇園」ですね。(「六、破滅」)
註
賤しい人――vasala. outcaste といわれ、インドのどの階級にも属さない最も卑しい人々をいう。同じ語が『マヌ法典』でも用いられている。
髪を剃った奴よ――mundaka! 「剃髪している者よ」の意。
そこにおれ――剃髪した修行者が神聖な火に近づくと、火が汚されると思ったのである。
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
まるで拝火教徒ですが、バラモン教やウパニシャド思想家にもこういう一派がいたであろうことは、手塚治虫『ブッダ』でもそんな兄弟が登場することからも分かります。
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その12) 
一言にして以て邦を興すべきはこれあるか
子路第十三(303~332)
317 定公問。 一言而可以興邦。有諸。孔子対曰。言不可以若是。人之言曰。為君難。為臣不易。如知為君之難也。不幾乎一言而興邦乎。曰。一言而喪邦。有諸。孔子対曰。言不可以若是。其幾也。人之言曰。予無楽乎為君。唯其言而莫予違也。如其善。而莫之違也。不亦善乎。如不善。而莫之違也。不幾乎一言而喪邦乎。
(訓)定公、問う。一言にして以て邦を興すべきはこれあるか。孔子対えて曰く、言は以て是の若くなるべからずも、其れ幾(ちか)きか。人の言に曰く、君たるは難く、臣たるは易からず、と。如し君たるの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾(ちか)からずや。曰く、一言にして邦を喪(ほろ)ぼすもの、これありや。孔子対えて曰く、言は以て是の若くなるべからざるも、其れ幾きか。人の言に曰く、予れ君たるよりも楽しきはなし。唯だ其れ言うのみにして、予れに違うなきなり、と。如し其れ善くしてこれに違うなくんば、亦た善からずや。如し善からずして、これに違うなくんば、一言にして邦を喪ぼすに幾からずや。
(新)魯の定公が尋ねた。一言にして国を興すような言葉がありますか。孔子対えて曰く仰ることにそのままぴたりとはまるお答えは出来かねますが、いくらかそれに近いことを申上げることは出来ます。よく言われる言葉に、君主となるのむつかしいことだし、臣下となる方も容易ではない、というのがあります。如し、君主となるのはむつかしいということを悟りましたならば、一言にして国を興すと言って言えぬことはありますまい。曰く、一言にして国を亡ぼすような言葉がありますか。孔子対えて曰く、仰ることにそのままぴたりとはまるお答えは出来かねますが、いくらかそれに近いことを申上げることは出来ます。よく言われる言葉に、君主になるより楽しいことはないと悟った、ただ私の言う通りに、誰も従わぬ者はないからだ、というのがあります。もしその言うことが善くて、誰もそれに従わぬ者がないのなら、、それもまた結構なことです。しかし、もし其の言うことが悪くて、しかもそれに従わぬ者がなかったなら、それこそ一言にして国を亡ぼすと言って言えぬことはありますまい。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫