蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-03

[][][]蛇の章を読む(その25) 19:16 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その25) - 蜀犬 日に吠ゆ

かれを賤しい人であると知れ

第一 蛇の章

七、賤しい人

一二三 或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族または友人の妻と交わる人、――かれを賤しい人であると知れ。

一二四 己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、――かれを賤しい人であると知れ。

一二五 母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵る人、――かれを賤しい人であると知れ。

一二六 相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、――かれを賤しい人であると知れ。

一二七 悪事を行っておきながら、『誰も私のしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人、――かれを賤しい人であると知れ。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 一二四は、九八の「破滅の門」と同じですね。「スッタニパータ」全編での編集というのはほとんど為されていないのでしょうか。

 註。

一二三 相愛して――sampiyena. 男も女も両者ともに愛情を以て、の意。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 では、「親族や友人の妻でない人」と交わるのはかまわないのか、という問題が起る。仏典では一般に、父または夫の保護下にある人と交わることをきびしく禁じている。それ以上には、範囲の問題にはあまり触れることなく、むしろ男女関係そのものに対して一般に禁遏的であった。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 一〇八の時と同じ疑問。師ブッダの説いていないことを禁遏(きんあつ)するのは、仏教として正当性をもつのでしょうか。師ブッダの説いていない部分に真理が含まれるというのであれば、師ブッダとはいったいなんなのでしょう。

 一二四の註。

一二四 己れは財豊かであるのに……――第九八詩参照。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 やっぱりね。

一二五 ここでは近親の間のいさかいを戒めているのである。仏教もいきなり普遍宗教となったのではなくて、まず親族のあいだに理想的な生活を確立しようとした。そうして最初のうちはシャカ族を中心としての宗教という性格が強かった。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 

一二七 隠し事をする――相手が了解し得ないような、あいまいな言葉で、隠し言葉を以て告げる。また長い間自分のもとに弟子入りさせておきながら、しかもすっかりは教えないで一部を残して隠しておく(Pj.p.180)。

 嘘をつくのが何故いけないのかというと、他人の利益をそこなうからである。その急所をついているのである。

 ここでは良心の問題が出てきているわけであるが、インドでは「アートマンが見ている」ということを説く。たとい他人が見ていなくても、(本来の自己)が見ているというのである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「お釈迦様でもご存じあるめえ」とはいいつつ、「アートマンは見ている」。