蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-08

恆

[][][][]子路第十三を読む(その18) 21:46 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その18) - 蜀犬 日に吠ゆ

人にして恒なければ、以て巫医を作すべからず

 子路第十三(303~332)

324 子曰。南人有言曰。人而無恒。不可以為巫医。善夫。夫恒其徳。或承之羞。子曰。不占而已矣。

(訓)子曰く、南人言えることあり、曰く、人にして恒なければ、以て巫医を作(な)すべからず、と。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或いはこれに羞(はじ)を承(すす)む、とあり。子曰く、占わずして已まん。

(新)子曰く、南方で行われる諺に、バランスを失った人間は神意を伺う巫(みこ)や医者にかかっても益がない、とあるが、まったく同感だ。易経に、行動原理に中心点を欠く人間の将来を占えば、必ず悪い結果が出るのが常だ、とある。子曰く、全く占い以前の問題なのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 易経は「恆」ですね。卦としては「巽下 上」。

 その九三の爻辞(下から三本目の卦が陽であることの説明)に、こうあります。

下経

恆  恆久性、恆常性

 九三。 不恆其徳。或承之羞。 貞吝。

 象曰。 不恆其徳。无所容也。

 九三は、その徳を恆にせざれば、あるいはこれが羞(はじ)を承(う)く。貞(ただ)しけれど吝(りん)。

 象に曰く、その徳を恆にせず、容(い)るるところなきなり。

 九三は剛爻剛位、「正」を得てはいるが、反面、剛に過ぎる。それに「中」(二)を外れている。自分の場所に満足し切れないで、上六(応)につき従おうとする。正しい居場所に恆久的におれないということは、その徳に恆常性のないこと。だからその徳を恆にせずという。恆のない人は、人に受け容れられない(象伝)。恥辱を受けることがあろう――或いはこれが羞を承く(或の字、有とおきかえて見よ)。占ってこの爻が出たら、貞なれど、吝。つまり、意図は貞しくても、恆常性がなくふらふらしているのでは、恥ずかしいこと(=吝)があろう。重ねて占者を戒める言葉である。『論語』子路篇、孔子の言葉の中に不恆其徳、或承之羞の二句が見える。易曰とはいわないが、易のここの文を引用したのだとされる(魏の王弼、宋の程氏による)。

本田濟『易』朝日選書 p281-