蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-09

[][][][]子路第十三を読む(その19) 20:13 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その19) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は和して同ぜず

 子路第十三(303~332)

325 子曰。君子和而不同。小人同而不和。

(訓)子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

(新)子曰く、諸君は互いに仲よくしてもらいたいが雷同してもらいたくない。大ぜい集ればすぐ雷同するが、必要な時に協力できぬ人間の多いのは困りものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 君子和を貴しとします。宮崎先生の解釈ですと、時には妥協も必要だよ、と。妥協するのは雷同とどう違うのかというと、周礼の理想を実現するという目的意識のもとに、穏やかな人間関係を築くことの重要性を説いたのでしょう。

 単純に人間関係であれば、君子周して比せず、仲のいい人と派閥を作ったりしない、ということが大切になるでしょう。


郷人皆なこれを好しとせば何如

 子路第十三(303~332)

326 子貢問曰。郷人皆好之。何如。子曰。未可也。郷人皆悪之。何如。子曰。未可也。不如郷人之善者好之。其不善者悪之。

(訓)子貢、問うて曰く、郷人皆なこれを好しとせば何如。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人皆これを悪しとせば何如。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人の善き者これを好しとし、其の善からざる者これを悪しとするに如かず。

(新)子貢が尋ねた。町内の人が皆な揃って賞めるような人間がいたら何如ですか。子曰く、それでよいとは限らぬ。子貢曰く、町内の人が皆な揃ってけなすような人がいたら何如ですか。子曰く、それでよいとは限らぬ。町内の善い人が賞め、悪い人がけなすのでなければ本物でない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子貢の質問は既に語られた孔子の言葉を前提にしているので、すこし複雑。

 「郷原は徳の賊」ですから、地元で誉めそやされている者は、駄目なのだとわかった上での、この質問なのですよね。ですから、孔子も、「まあまだまだだね」と応じます。では逆に、まわりの者がみなけなす時はどうでしょうか。それも、その事だけで人物を判断は出来ません。善い人が賞め、悪い人がけなすようではじめて判断できる、というわけ。


 孔子のこの言葉は、人物評価の基準どうこうというよりも、むしろ「他人のことをあれやこれや言う時、評論家ぶったその人こそ、人物が量られている」ことを暗に示しているように思います。前章ではありませんが、雷同して世間の雰囲気にのって人に毀誉褒貶を与えたり、自分の損得で人物を判断したりする人たちの偏見に、君子は惑わされないものなのです。