蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-11

[][][][]子路第十三を読む(その20) 15:47 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は事え易くして説(よろこ)ばし難きなり

 子路第十三(303~332)

327 子曰。君子易事而難説也。説之不以道。不説也。及其使人也。器之。小人難事而易説也。説之雖不以道。説也。及其使人也。求備焉。

(訓)子曰く、君子は事え易くして説(よろこ)ばし難きなり。これを説ばすに道を以てせざれば説ばざるなり。其の人を使うに及んでや、これを器とす。小人は事え難くして説ばし易きなり。之を説ばすに道を以てせず雖も説べばなり。其の人を使うに及んでや、備わるを求む。

(新)子曰く、教養ある君主の下で働くのは働きやすいが、気に入られるのはむつかしい。気に入られようと努めても、道理に叶うのでなければ気に入られないからだ。しかし人を使うときには適当した仕事だけをやらせるから働きやすい。小人物の下では働きにくいが、気にいられるのは容易だ。取りいろうとすれば道理に叶わなくても、すぐ説ぶ。しかし人を使う時には何でもかでも見さかいなく用事を命(いい)つけるから、その下では働きにくいのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 さいごの「求備焉」を、宮崎先生は意訳して解釈しますが、普通は「完全さを求める」、つまりその人の特徴や能力を見極めず、与えた仕事に合わせて能力を発揮するように要求する、というふうに意味をとるようです。

 この章句も、前章と同じように逆から意味をとって、「下らないおためごかしでいい気になるかどうか、部下の資質を見極めて仕事を割り振ることができるかどうか」で君主の能力が分別される、という風に考えることが出来ます。加地先生は「小人」を知識人ととりますが、この場合は「君子」「小人」はどちらも君主のことであるようです。

君子は泰くして驕らず

 子路第十三(303~332)

328 子曰。君子泰而不驕。小人驕而不泰。

(訓)子曰く、君子は泰(やす)くして驕(おご)らず。小人は驕りて泰からず。

(新)子曰く、教養ある君子は自信があって而も謙虚だ。小人物は傲慢でありながら自信がない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「泰」は「自信がある」でしょうか、金谷先生は「落ち着いていて」という解釈で、まあ近いと言えばそうなのでしょうけれども、一方は内面、他方は外見上のことを指ししめしています。「泰然」などの語意から考えると、外見的に「落ち着いている」という方がすんなり理解できます。


 何故「落ち着いて」もしくは「自信があって」堂々とした態度なのか、実力がともなっているからなのでしょうね。


剛、毅、木、訥なるは仁に近し

 子路第十三(303~332)

329 子曰。剛毅木訥。近仁。

(訓)子曰く、剛、毅、木、訥なるは仁に近し。

(新)子曰く、かたい背骨がとおり、粘り腰がつよく、田舎風まるだしで、口数の少いのは、そのままで仁に通ずるものがある。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 もちろん、巧言令色鮮矣仁と対にして考えるべきなのでしょう。(巧言令色足恭というのもある。)仁を行う人というのは、ふだんこんな風な様子である、と。

 ところで、「剛毅木訥」のうち、「剛」と「毅」は一文字で名前になったりしますが、二文字で「剛毅」くん、というのは会ったこと無いです。居そうではありますが。しかし、「木」くんや「訥」くんというのはいそうにありませんね。不思議?