蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-11

[][][]蛇の章を読む(その29) 18:54 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その29) - 蜀犬 日に吠ゆ

生れによって賤しい人となるのではない

第一 蛇の章

七、賤しい人

一三六 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

一三七 わたくしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られて令名の高い人であった。

一三八 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

一三九 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、欲情を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生れも、かれがブラフマンの世界に生まれることを妨げなかった。

一四〇 ヴェーダ読誦者(どくじゅしゃ)の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

一四一 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、彼らが悪いところに生まれたまま非難されるのを防ぐことはできない。

一四二 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 その行為の善し悪しの基準が知りたいものですが、なかなか出てこないのですねえ。

 註。

一三六 行為によってバラモンともなる――ジャイナ教でも同様のことをいう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 こればっかり。本当に、仏教はジャイナ教なのでしょうか。ジャイナ教が仏教なのでしょうか。

一三八 神々の道――devayana. 神々の道とは、『リグ・ヴェーダ』では神々が天界から祭場へ往来する時、或いは死者の霊が神々の下へ赴く道を意味したが、ウパニシャッドになると、ブラフマンの明知を得た個我が身体を脱出してのち、火葬の炎とともに上昇し、日、月の盈(み)ちつつある半ヵ月、太陽の北行する六ヵ月、歳、風、太陽、月、電光、ヴァルナ神の世界を経てブラフマンの世界に到達する(その説明はウパニシャッドによって多少相違する)。そのブラフマンの世界に到達したならば、人はもはやこの世に帰来することがない。これが人間の理想であり、解脱に相当するものであると考えていた。(略)ところで仏教はウパニシャッド以来のこの思想をいちおう承認し、それを道徳的精神的な意味に転化したのである。

 なお原始仏教聖典では「神々の道」に相当するものを「ブラフマンへの道」(brahmayana)としるしていることもある。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 われわれの「大乗」はマハー・ヤーナと呼ばれ、ヤーナは「乗り物」と説明されますが、これをみるに「道」と解してもいいのでしょうか。

一四二 悪いところ――duggati. 漢訳では「悪趣」「悪道」と訳す。普通は「地獄」「餓鬼」「畜生」の三つをいい、そのほかに「修羅」を数えることもある。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「悪趣味」「悪路」あたりはその辺でもよく見かけますが、「悪趣」「悪道」は知りませんでした。「天」「人」を加えて六道になるのはまだなのでしょうか。

 身分差別を否定し善事を実行する。簡単なことではありますが、人類は、そんなこともいまだに出来ていない。