蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-13

[][][]蛇の章を読む(その31) 20:32 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その31) - 蜀犬 日に吠ゆ

平安の境地に達してなすべきこと

第一 蛇の章

八、慈しみ

一四三 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。

一四四 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

一四五 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 第八節は「慈しみ」、おお、仏教っぽくなってきた。

 慈しみ――以下に出てくるのは、「慈しみの経」(Metta-sutta)と呼ばれるもので、南方仏教では特に重要視される。ここには詩句が一〇あるが、それらはそのまま『クッダカ・パータ』第九章に出ている。その事実は、この一連の詩句がすでに現在のかたちの聖典が編纂される以前に重要視されていたことを物語る。だからこそ二つの経典におさめられて、ダブッているのである。註釈によるとブッダはこれも護呪(Paritta)としても説いたという。しかし護呪として用いられるようになったのは後世のことである。

 したがってパーリ文の註解の文章もそっくりそのまま二ヵ所に出てくる(パーリ聖典教会の版は、『クッダカ・パータ』第九章に対する註解のみを出版している)。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 スマナサーラ氏も慈悲の瞑想で、慈悲を重要視していましたからね。

一四三 究極の理想――attha.「人のためになること」をいう。註釈家は、ニルヴァーナのことであるという。

 平安の境地――santam padam(=Skrt. santam padam). 例えば、仙人が住んでいる、奥深い静かな場所をいう(cf. Kalidasa's Abhijnanasakuntalam)。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 てっきり、精神の状態としての「平安の境地」だと思っていましたが、具体的な場所のことだったと。そんな奥深い場所に、「慈しみ」の対象となる他者がいますかねえ。それとも、衛星中継ごしに他国の人々を哀れむような、そんな慈しみではいかんでしょうに。

能力あり――sakko. sakkou ti, samattho patibaloti vuttam hoti.

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 うん、全然意味わかりません。

思い上ることのない者――anatimani = na atimani. 自分が他人より優れていると思う慢心のないことである。或る解釈によると、氏素性について、自分の方が優れていると思って他人を見下すことがない、という意味である。

(略)

 サーリプッタは自分は、チャンダーラや少女にも等しい心のものだと思って謙虚に暮らしていたということを解釈していう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 自分が思い上がらないことは大切だとして、それを説明するとき、ことさら「チャンダーラ」や「少女」を貧しい心の持ち主として提示しなくてもいいのに。


一四四 足ることを知り――僅かのもので満足することを足るを知る(「知足」)という。満足していることを、サンスクリット語で Samtusti というが、これを「知足」と訳している(『出曜経』泥洹品、大正蔵、四巻、七三二頁上、『大乗荘厳経論』および Mahayanasutralamkara に対する索引参照)。またtusti(『大乗荘厳経論』)や samtusta(Tib. chog ses pa. Mahavyutpatti 2397)を「知足」と漢訳していることもある。さらに samlekha(質素)を、真諦三蔵はやはり「知足」と訳している。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「知足」というのは仏教ではよく聞く言葉ですが、そのもととなる言葉はたくさんあり、それぞれ異なる「知足」という考えがありそうです。

 このように訳したのは、老子の理想に一致するものがあったからであろう。

 「自勝者強、知足者富」(『老子』三三)

 この理想が日本に受け入れられ、自分の持ち分に満足し安んじて、欲張らないことが、日本でも古来理想とされてきた。

 これはまたストアの哲人の目ざす人生の理想でもあった。清沢満之が人生の師と仰いだエピクテートスは、「満足」という一章で次のように言う。

 君は苦労もしないし、また満足もしていない、そしてもし君が独りぼっちならば、君は孤独だというし、またもし人々と一緒ならば、君は彼らを騙り屋だとか、泥棒だとかいう、また君自身の両親や、子供たちや、兄弟たちや、隣人たちをも非難するのである。だが君はただ独りいる時には、それを平和とか自由とか呼び、自分を神的なものに似ていると思うべきであったし、また多くの人々と一緒の時には、俗衆とか喧騒とか不愉快とか呼ばないで、お祭りとか集会とかいって、そしてそのようにしてすべてを満足して受けるべきであったのだ。そうするとそういうふうに受けとらぬ人々には、どういう罰があるか。彼らが持ってるようなそういう気持ちにあることがそれだ。或る人は独りでいることに不満だって。彼は孤独であるがいい。或る人は両親に不満だって。その人は悪い息子として、悲しんでいるがいい。或る人は子供に不満だって。その人は悪い父親でいるがいい。

 「彼を牢獄に入れるがいい。」

 どんな牢獄にか。彼が今いる処がそれだよ。というのは彼がいやいやながらいるからだ。人がいやいやながらいる処は、彼にとっては牢獄である、ちょうどソークラテースが、喜んでいたために牢獄にいなかったように。

 「それでわたしの脚が跛になったのです。」

 つまらんことをいうね君は、すると君は小っぽけな一本の脚のために、宇宙に対して不平なのか。それを全体のために、君は捧げないのだろうか。君は退かないだろうか。君はその授けてくれた者に、喜んで従わないのだろうか。君はゼウスによって配置されたもの、つまりゼウスが彼のところにいて、君の誕生を紡ぎだした運命の女神と一緒に、定めたり、秩序づけたりしたものに対して不平で不満あのだろうか。君は全体に較べれば、どれほど小さい部分であるかを知らないのか。だがこれは肉体の点においてだ、というのは少なくとも理性の点では、神々に何ら劣りもしなければ、より小さくもないからである。なぜなら理性の大きさは、長さや高さによってではなく、その考えによって判定されるからだ。(エピクテートス『人生談義』上、岩波文庫、六一―六四頁)

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 もはや仏教っぽいだとかジャイナ教じゃねえのとか言っているわけにもいかなくなりそうです。老子、そしてストア学派。

 中村先生はとどまるところを知りません。

 哲人の帝王マルクス・アウレーリウスは、『自省録』のなかで次のような半生を述べている。

 一六 尊ぶべきは植物のように発散による呼吸を営むことでもなく、家畜や野獣等のように呼吸することでもなく、感覚を通して印象を受けることでもなく、衝動のまにまにあやつられることでもなく、群をなして集うことでもなく、食物を摂ることでもない。それは食物の残渣を排泄するのと同じたぐいのことだ。

 では何を尊ぶべきか。拍手采されることか、否。また舌の拍手でもない。というのは、大衆から受ける賞讃は、舌の拍手に過ぎないからだ。また君はつまらぬ名誉もおはらい箱にした。では何が尊ぶべきものとして残るか。私の考えでは、自己の(人格の)構成に従ってあるいは活動し、あるいは活動を控えることである。あらゆる職業や技術の目的となすところもそこにある。なぜならばあらゆる技術の目標は、すべて作られたものが、その作られた目的である仕事に適応することにある。葡萄の世話をする葡萄栽培者、子馬を仕込む者、犬を馴らす者、みなこれをめざしているのである。また子供の教育法や教授法もこれに向って努力する。これこそ尊ぶべきものなのである。このことをしっかりと身につけたならば、君は自分のために何もほかにかちえようとはしないであろう。それとも君は多くの他のことを尊ぶのをやめないつもりなのか。それなら君は自由の身にもならず、自足した人間にもならず、また激情に動かされぬ者ともならないであろう。なぜならばその場合、君が羨んだりねたんだり、そういうほかのものを君から奪い取りうる人びとを疑ったり、君の大切に思うものを持っている人びとに対して陰謀を企てたりするのは必定である。つまり、そういうもののいずれかを必要とする人間は、必然的に混乱の中にあらざるをえず、その上神々に対してもさまざまの非難を口にせずにいられないものである。ところが自分自身の精神を敬い尊ぶならば、それによって君は自己の意にかなう人間となり、人びとと和合し神々と調和する者、すなわちすべて神々の配し定めるところに喜んで服する者となるであろう。

 考えて見れば、足を知ること、すなわち自分の持ち分に満足して喜びを見出すということは、だれにでも可能な(幸せへの道)であると言えよう。

 原始仏教、老子、ストアの哲人たちによって、古代のほぼ同時代、――多少の年代的な前後のズレはあるが――に説かれたことは興味深い。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 まあそういいたくなる気持ちも分かりますが、スッタニパータの「足るを知る」は、少しのものでくらすこと、老子は「欲しがる気持ちをなくすこと」をいい、ストアの哲学はどちらかというと「運命に従う」というように、少しづつ違うような気もします。

 しかし、表紙に

 積年の研究成果が訳注に盛られ、読解の助となるとともに、他仏典との関連、さらには比較文化論にも筆が及び興味は尽きない。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 とありますが、逆に筆が進みすぎてついていけない部分があります。


 わずかの食物で暮し――subharo(=sukhena bhariyati, suposo ti vuttam hoti).原義は、「世俗の信者たちから見て、養い易い」という意味である。「ビクが、米や肉や粥などを鉢に満ちるほど与えられても、不機嫌な顔をし、不愉快なさまを示し、あるいはかれら(信徒)の面前で、『お前たちは何をくれたんだ?』といって托鉢の食物を喜ばないで、見習い僧や世俗人たちにくれてやるならば、このビクは養い難い人である。人々はこれを遠くの方から見て、避けてしまう、――『このビクは養い難い』といって。しかし、粗末なものでも、美味なものでも、多少にかかわらず得たならば、喜んで、愉快な顔をして行くならば、このビクは養い易いのである。之を観て、人々は非常に安心して、『この尊師は、われらにとって養い易い。僅かの物で満足してくれる。われらはかれを養いましょう』という願いを立てて、養う。(養い易い)というのは、このような趣意である」(Pj. vol. I, p.241)

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

雑務少く――appakicco. なすべき仕事・義務が少い、という意味である。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

諸々の(ひとの)家で貪ることがない――托鉢業者が世俗の人々の家に近づいて者を欲しがることをいう。「家の内部について(これこれの人のうちには何があるだろうか? じゃぶじゃぶ吸う食物であろうか? あなたはわたしに何を示してくれますか? 今日われわれは何を食べるであろうか? 何を飲むことになろうか?)などと語る」のは、執著である、というのである(Pj. I, p.243 ll. 2f)。

 ここでは出家修行者のことを説いているのである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

一四五 生きとし生けるもの――sabbe sattta. 人間ばかりでなく、生きものすべてを考えていた(satta ti panino. Pj. I, p.244, l.13)

 一切の生きとし生けるものは幸福であれ――一切の生きものに慈しみをもつべきことは叙事詩でも教えられている

 安穏であれ――khemino=abhaya nirupaddava(Pj. I, p.244, l.12. cf. l.16).恐怖もなく、危害を加えられることもない、の意。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 大事なことを述べているとは思いますが、哲人マ帝あたりでくたびれてしまいました。


[][][][]子路第十三を読む(その22) 16:38 はてなブックマーク - 子路第十三を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

善人が民を教うること七年

 子路第十三(303~332)

331 子曰。善人教民七年。亦可以即戎矣。

(訓)子曰く、善人が民を教うること七年ならば、亦た以て戎に即かしむべし。

(新)子曰く、善意の人が人民を指導すること七年にもなれば、戦争につれて行ってもぶざまな結果にならない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「即戎」は「就兵」と解釈するそうです。

 「即戎」は、古注の包氏の説に、「即は就く也、戎は兵也」とあり、うち「兵」は軍事の意味であるから、二字は軍事に従事させる意味である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 「亦」の字は、戦争に行かせること「もまた」できるよ、他のことをいろいろさせることもできるよ、という意味に単純にとりましたが、吉川先生ならびに仁斎はさらに解釈を深めます。

 ところで目をとめて読みたいのは、「亦た以って戎に即く可し矣」の「亦」の字であって、善人が人民を七年間教育すれば、戦争をさえ、させることができる、という語気のように、読める。もしその語気であるとするならば、戦争は原則として肯定されない反価値的な行動であるけれども、それにさえ、人民を従事させることができる、というふうに読める。少なくとも仁斎は、そう読んでいる。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 戦争という事態に陥っても取り乱さないように教育を行うことができる、ということでしょうか。


 「善人」は知者、賢人などと共に、仁者に次ぐ人格者であり、国を指導するもののことでしょう。善者とはすこしニュアンスを異にするようです。善人が国を治める、のではなくて民に教う、というところが、教育と政治を一体のものと見なした孔子の考え方が現れている部分だと思います。

 しかし、善人であっても、民を教えるのに七年をかけるというのですから、凡骨が民に教えるなどというのは、「民を知らしむべからず」で、できっこないほどに遠い道ですね。


教えざるの民を以いて

 子路第十三(303~332)

332 子曰。以不教民戦。是謂棄之。

(訓)子曰く、教えざるの民を以(ひき)いて戦う。是れ、これ棄つと謂うなり。

(新)子曰く、訓練しない人民を戦争に狩り出すのは、殺されにやるようなものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 前章を受けての言葉であろうと思いますが、331と332をひとつながりにしている訳本がないことから、分けて考えるべきなのでしょうか。

 宮崎先生は、そのへんのところに思いをいたしたのか、前章で教うは教育のことでしたが、この章では軍事的な訓練のことと解釈しています。と思ったら、加地先生、吉川先生も軍事訓練の解釈でした。金谷先生は普通に教育のこととします。宇野先生は、少し言葉を増やしてですが、

 戦いは民の生死に関することであるから、平日これを教えて勇気あり且つ向う所を知らせておかなければならぬ。

宇野哲人『論語新釈』講談社現代文庫

 軍事訓練というよりは、軍国教育のような状況が想定されるようです。


 加地先生の説明。

 従来、「不教民(教えざる民)」を「教育のない民」と解釈してきた。しかし、前節の文との関係を考えると、この「教」は一般的教育ではなくて、軍事教育と解する。そうなると「民に戦いを教えざるを以てす」(民に軍事教育をしないことを政策とする)と訓(よ)んでもいい。

宇野哲人『論語新釈』講談社現代文庫

 戦争は、ない方がいいのですが現実には存在してしまう。教育の場で、そうしたことを避けてはいけない、という風に解釈することもできそうですね。


 しかしそうすると、前章の「善人民を教えて」というのも、さかのぼって軍事教練の話にできませんかね。善人が軍隊を仕上げるのには七年かかる、しかしファシストなら1年で精鋭を鍛え上げる、とかそういう風に。



 以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』下論、前の十八章は多く政(まつりごと)を言い、十九章以後は多く学を言い、末の二章は政(まつりごと)をいう「子路」という第十三章は終わる。