蜀犬 日に吠ゆ

2010-02-18

[][]今さらワイドショー~~ナンシー関『秘宝耳』朝日文庫 23:20 はてなブックマーク - 今さらワイドショー~~ナンシー関『秘宝耳』朝日文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 ワイドショーの取材方法について。

こたつの章

「ボクは先代の社長にたいへんかわいがってもらってね」小倉智昭

 いやあ、それどころではないわけである。それどころってのがなんだかよくわからないけど。何か事件があったときに、リポーターが急いで渋谷とか銀座とかに行って、歩いてる人に「こういう事件があったの知ってますか」とマイクを向けるのは何だろう。「えーっ!! うそー!!」とかいうリアクションを並べてみせてどうするんだろう。いまさら、ワイドショーの取材方法についてもの申すのもなんだけど、むなしい感じがするもんでね。やめればいいのに。

ナンシー関『秘宝耳』朝日文庫

 1999年4月の記事。

 ワイドショーとニュースの境目もどんどんとなくなり、特に民放は朝夕の帯番組から「ニュース」の題字をはずした21世紀では、NHKニュースが、この頃のワイドショーにあてはまるのではないでしょうか。ワイドショーばっかり見ている側としては、やめてほしい。

秘宝耳 (朝日文庫)

秘宝耳 (朝日文庫)


[][][]蛇の章を読む(その34) 20:35 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その34) - 蜀犬 日に吠ゆ

立派な人のこころは

第一 蛇の章

九、雪山に住む者

一五三 七岳という神霊(夜叉)がいった、「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ、われわれは世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」

一五四 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった、「このような立派な人のこころは一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されているのであろうか?」

一五五 七岳という神霊は答えた、「このような立派なかれ(ブッダ)のこころは、一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、彼の意欲は能く制せられている。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 こんどは夜叉たちが師ブッダを尋ねることになりそうです。

 註

 雪山に住む者――Jemavata. この経典の別名をSatagira-sutta ともいう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 七岳と雪山に住む者は、ことなる夜叉なのですね。

一五三 七岳という神霊(夜叉)――その原語は Satagira Yakkha であるが、『別訳雑阿含経』第十五巻(大正蔵、二巻、四八三頁下)にある訳語に従う。註釈によると中インドのサータ山に住んでいた神霊である(略)。Hemavata も Satagira もヤッカ王(yakkharaja)である。ヤッカ(yakkha 夜叉)はもとは心的存在、霊的存在を意味した。しかし後には「夜叉」という音訳の示すように、鬼神の一種であり、北方の神であるクヴェーラ(Kuvera=Vessavana 毘沙門天)の配下に属すると考えられた。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 以下において(「雪山に住む者」という神霊(夜叉)がいった)というふうにしておいたのは註による。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 十五日――太陰暦の第十五日、すなわち満月の日。

 ウポーサタ――現在南方アジアの仏教諸国の民衆の間で最もひろく行われている行事はウポーサタである。ウポーサタ(uposatha、(布薩)と音写)とはウパヴァサタ(upacasatha)の訛った名称であるが、ウパヴァサタとはヴェーダの祭においてはソーマ祭の準備の日である。これを受けて仏教興起の時代には主要な行動のために準備をすることがウポーサタと呼ばれていたらしい。

 主要な行動を起すために準備することをウポーサタといい、牧牛者を含めて世人の行っていたものと、ニガンタすなわちジャイナ教徒の行っていたものと二種類あった。

 仏教興起時代のジャイナ教徒は月に二回ポーサハ(=ウポーサタ)の日に食物と、身体をかざることと、性的関係と日常の職業活動とを断って斎戒を守るという。そうしてこれを実行すると、霊的存在(ヤッカ)と神秘力を共にし得るに至ると考えていた。

 仏教は、当時一般に行われていたウポーサタの行事をとり入れて、徐々に実質的な変更を行った。伝説によると、釈尊はビンビサーラ王の勧めによってウポーサタの行事を行うようになったのだという。釈尊の教化期の前半における出来事であった。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 またしてもジャイナ教ですか。

 仏教では出家者のウポーサタは半月に一回行ったが、最も主要なものは満月の日に行う。すなわたい満月新月の日に、出家した僧侶は一同に会して戒律の個条(oatimokkha)を読み、罪を懺悔する。これに対して在家信徒は半月に三度ウポーサタを行なった。信徒はその日に八つめの戒めを守り、説法を聞き、断食し、僧尼に食物を給するのが古来習わしであった。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 出家者が半月に一度斎戒するのに、在家が半月に三回では、在家の方が清らかな生活をしていることになりませんか。出家者は普段から戒律に従っているから構わないのでしょうか。

 古い聖典によると、ウポーサタのときに五百人の比丘が集まったとか、或る説法の時には千人以上のビクが集まったという。この記述には誇張もあるであろうが、かなり多くの修行僧が集まったのであろう。アショーカ王の詔勅によると、在俗信者はウポーサタの度ごとにその儀式に詣でるのみならず、政府の大官(mahamatra)はそこに詣でるべきであると定めている。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 現在の南方仏教においては、ウポーサタというと、戒律個条(パーティモッカ)の暗誦読誦が中心となっているが、その暗誦読誦は、最初期の仏教においては行われていなかったと断定できる。その理由は、(1)諸々の経典の中でウポーサタの内容として説かれているものは、非常に精神的な修養であって、暗誦には言及していない。これは当時の一般宗教の間で行われていたものに対応する。(2)戒律個条の数は諸派によって一定していない。それらの原型があったと考えられるので、それらに共通のものをとるとビクの戒律個条がほぼ二百くらいはあるであろうが、しかし、それも最初の時期からあったものではない。その証拠には、最古の聖典である本『スッタニパータ』において戒律個条(パーティモッカ)として挙げられているものは極めて簡単なものである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 人ごとみたいに。この本が『スッタニパータ』でしょうが。

 みごとな――divya. 原義は「輝かしい」「天の」。'himmlisch hell'(Neumann)という訳は、原義をすべて生かしている。'lovely'(Fausboll; Chalmers).

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

一五四 意欲――samkappa. ――'mind'(Chalmers). 普通「思惟」と訳すが、これはむしろ「意欲」と訳したほうがよいであろう。貪りと嫌悪とによって生起する。 ragadosavasena samkappa uppajjeyyum(Pj.Ⅱ, p/202, l.19.). 次行の訳に見られるように、ノイマンは「思惟」という性格を全然認めていない。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

[][][][]憲問第十四を読む(その5) 19:50 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

徳ある者は必ず言あり

 憲問第十四(333~379)

337 子曰。有徳者必有言。有言者不必有徳。仁者必有勇。勇者不必有仁。

(訓)子曰く、徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁あらず。

(新)子曰く、修養して徳を得た人は必ず良いことを言う。しかし、良いことを言う人は必ずしも徳のある人とは限らない。最上の人格者は必ず勇気がある。しかし勇気のある人がいつも人格者とは限らない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 必要条件、という話。

 「徳」や「仁」というものは、人間の内面にあって目に見えるものではありません。一方、「言」や「勇」というのは派手なパフォーマンスとして表現することができます。ですから、人目につくところでパフォーマンスを行っていることに惑わされず、その「言」が、その「勇」があらわれてくる根本の所をしっかりと見極めなければならない、ということでしょうね。

 自己においては、ですから修養を積むことを第一の目標にして、受け狙いの言説やポーズを弄してはならない、と。他者を見るときは、その言説や勇ましい態度に目をくらまされることなく、冷静に観察しなければならない、と。


羿は善く射、奡は舟を盪えす

 憲問第十四(333~379)

338 南宮适。問於孔子曰。羿善射。奡盪舟。倶不得其死然。禹稷躬稼而有天下。夫子不答。南宮适出。子曰。君子哉若人。尚徳哉若人。

(訓)南宮适、孔子に問いて曰く、羿(げい)は善く射、奡(ごう)は舟を盪(くつが)えす。倶にその死然を得ず。禹、稷は躬(みず)から稼して天下を有(たも)てり、と。夫子、答えず。南宮适、出づ。子曰く、君子なるかな、若(かくのごと)きの人、徳を尚ぶかな、若き人

(新)南宮适が孔子に話しかけた。羿は弓術の達人であり、适は力が強く舟を顚(くつが)えすほどであったが、いずれも寿命を全うすることができなかった。禹や后稷は自身で農業に従事したが、後に天下の主となったそうですね。孔子はそれに相槌をうたなかった。南宮适が退出したあとで、子曰く、立派な教養ある君子がいるとすれば、あの人だな。修養に努めているな、あの人は。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 南宮适は、古注では魯の家老であった南宮敬叔、史記及び新注は孔子の兄の娘婿である南容であるとします。白圭を誦してほめられた人ですね。複姓「南宮」名「适」、よみは「なんきゅうかつ」ですが、加地先生は「なんぐうかつ」とルビを振っていますね。

 どちらか知りませんが、とにかく南宮适が尋ねてきて、古代の人の話をします。

 さて、その人物の孔子に対する問いは、古代伝説を題材とする。羿も奡も、古代伝説の中の暴力的な英雄である。説話の全貌は、他の諸説話と同じく、司馬遷その他、合理主義的な史家から、記載を拒否されたため、今日もはやつかめない

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 とありますが、とりあえず、羿から。

羿は夏の時代の諸侯で有竆国(ゆうきゅうこく)の君である。弓を射ることが上手で、夏の天子の相という人を滅ぼしてその位を簒(うば)ったが、その臣の寒浞(かんそく)が又羿を殺してこれに代った。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 寒浞は、宇野先生のみ「かんそく」で、他は「かんさく」。太陽を射殺したり奥さんが月に昇って蟇蛙になったりした人とはべつなのかしらん。

奡は浞の子で地上に舟を推しやる程の力があったが、後に夏の天子の少康(相の子)という人に誅せられた。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 しかし、この奡の出生にも秘密があり、

寒浞は羿の妻を妻として奡を生んだが、奡はのち夏王朝の遺児少康に殺された

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 というわけで、蟇蛙どころか羿の妻は寒浞の妻にされたのでした。悪逆無道な人々であることが強調されますねえ。

外廓だけは、「春秋左氏伝」襄公四年の魏公の発言、また哀公元年の伍員(ごうん)の発言によって、断片的にわかる。いずれも暴力的な英雄として語り伝えられたにちがいないが、うち奡の行為としてここにいう「盪舟」については、くわしいことがわからない。古注の孔安国は、「奡は力多く、能く陸地に舟を行(や)る」とするが、清儒はそれを杜撰とし、舟いくさのことという説などを、提出している。

 何にしても、南宮适と孔子とが、共通の話題とし得た説話の内容を、われわれは知悉しないのであるが、古代の暴力者二人は、暴力による不道徳のゆえに、いずれもたたみの上で死ねなかった。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 一方善玉一味。

禹は洪水を治め稷と共に播いたり植えたりして身親(みみずか)ら耕作に従事したけれども、禹は舜の禅(ゆず)りを受けて天子となり、稷の後は周の武王に至ってまた天子となった。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 孔子はこれに対して返事をしなかったのですが、あとでほめました。

 これはいろいろ解釈がありますが、あまり公然とほめると、南宮适が己惚れるとか、あるいは兄の娘むこであるから遠慮してこっそりほめた、というのがありそうです。