2010-02-19
■ [書留][三国]囲棊は清談~~『世説新語・顔氏家訓』中国古典文学大系 平凡社 

- 作者: 劉義慶,顔之推,森三樹三郎
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1969/04/01
- メディア: 単行本
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巧芸篇 第二十一
一〇
王中郎*1は囲棊を「坐せる隠遁」であるとし、支公*2は「手による清談」であるとした*3。
『世説新語・顔氏家訓』中国古典文学大系 平凡社
■ [書留][仏教][スッタニパータ]蛇の章を読む(その35) 
かれは与えられないものを取らないであろうか
第一 蛇の章
九、雪山に住む者
一五六 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは与えられないものを取らないであろうか? かれは生きものを殺さないように心がけているだろうか? かれは怠惰から遠ざかっているであろうか? かれは精神の統一をやめないであろうか?」
一五七 七岳という神霊は答えた、「かれは与えられないものを取らない。かれは生きものを殺さないように心がけている。かれは怠惰から遠ざかっている。目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることがない。」
一五八 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは嘘をつかないであろうか? 粗暴なことばを発しないだろうか? 中傷の悪口を言わないだろうか? くだらぬおしゃべりを言わないだろうか?」
一五九 七岳という神霊は答えた、「かれは嘘をつかない。また粗暴なことばを発しない。また中傷の悪口を言わない。くだらぬおしゃべりを言わない。」
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
註。
一五八 粗暴なことば――註釈にしたがって解した(na khinavyappatho ti, na pharusavaco ti vuttam hoti. Pj. Ⅰ, 204)。
中傷の悪口――vebhutiya.
中村元『ブッダのことば』岩波文庫
これは十善戒に対応しているのでしょうか?
そして、この展開だと師ブッダは登場せず、七岳と呼ばれる神霊が師ブッダの偉大な部分を賞讃して住ますような気がします。また、「不殺生戒」が、「生きとし生けるものを殺さない」ようにこころがけている、というのは現実的でいいなあ。もちろん、心がけるからには肉食せず、歩く足の前を箒で掃いたりするのでしょうけれども。
■ [書留][儒教][憲問第十四][宮崎市定]憲問第十四を読む(その6) 
君子にして不仁なる者はあるかな
憲問第十四(333~379)
339 子曰。君子而不仁者有矣夫。未有小人而仁者也。
(訓)子曰く、君子にして不仁なる者はあるかな。未だ小人にして仁なる者あらざるなり。
(新)子曰く、教養ある文化人で通っている人の中には、ひどい食わせ者がいるものだ。しかし始めから小人物と言われている人の中に人格者のいたためしはない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
普通の人が他人を評価するとき、長所よりも短所をあげつらいたくなるものです。ですから、そうした不仁をうまく隠して君子でございと罷り通る者がでます。人は、短所のないことを見てその人を評価することができなくなるからです。
また、世の中の人たちに自分の真の実力が認められないと嘆く人たちは、こんどは自分の短所に目をつぶってよいところを強調したがるわけです。ですから本人は不遇のつもりでも、まあまあ妥当なところに落ち着く。世間に知られずこんな英雄が埋もれていた、ということはないといってよろしいのでしょう。
これを愛しては能く労うなからんや
憲問第十四(333~379)
340 子曰。愛之能勿労乎。忠焉能勿誨乎。
(訓)子曰く、これを愛しては能く労(ねぎら)うなからんや。忠ならば、能く誨(おし)うるなからんや。
(新)子曰く、愛する友人に対しては、いたわってあげずには居られない。心からの友達ならば、忠告せずには居れない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
友人が疲れているとき、過ちに踏み込もうとしているとき、遠慮せずにいたわったり忠告せよ、という話。というはなし。