蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-06

[][][][]憲問第十四を読む(その1417:34 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

桓公、公子糾を殺して、召忽これに死し、管仲は死せず

 憲問第十四(333~379)

349 子路曰。桓公殺公子糾。召忽死之。管仲不死。曰未仁乎。子曰。桓公九合諸侯。不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁。

(訓)子路曰く、桓公、公子糾を殺して、召忽これに死し、管仲は死せず。未だ仁ならずと曰わんか。子曰く、桓公は諸侯を九合し、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁を如(いかん)せん、其の仁を如せん。

(新)子路曰く、斉の桓公が兄弟の公子糾を殺したとき、糾の臣の召忽はこれに殉じたが、管仲は生き長らえた。これを不仁と言ってよいでしょうか。子曰く、桓公が諸侯を会合して覇を唱えた際、兵車の武威を示して嚇したのでなかったのは、管仲の力であった。管仲には管仲なりの仁の一面があったのを忘れてはなるまい。それをどうして無視できよう。どうして一概に不仁ときめつけられよう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 殉死はほめるべきことではないですよねえ。私もいうほど封建主義者ではないのかもしれません。最後の如何せん、は、子路にもっとよく考えて欲しいと言うことでしょうか。


管仲は非仁なる者か

 憲問第十四(333~379)

350 子貢曰。管仲非仁者与。桓公殺公子糾。不能死。又相之。子曰。管仲相桓公。覇諸侯。一匡天下。民到于今受其賜。微管仲。吾其被髪左衽矣。豈若匹夫匹婦之為諒也。自経於溝瀆而莫之知也。

(訓)子貢曰く、管仲は非仁なる者か。桓公、公子糾を殺したるに、死する能わず。又これに相たり。子曰く、管仲は桓公に相とし、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民、今に到るまで、其の賜を受く。管仲微(なか)りせば、吾れ其れ髪を被り、衽(えり)を左にせん。豈に匹夫匹婦の諒(まこと)を為し、自ら溝瀆(こうとく)に経(くび)れてこれを知る莫きが如くせんや。

(新)子貢曰く、管仲は不仁なる者ですか。斉の桓公が兄弟の公子糾を殺した時に一緒に死ぬことができぬのみならず、かえっって桓公の相となりました。子曰く、管仲は桓公の相となり、諸侯に覇を唱え、天下を立て直した。だから人民は今に至るまで、その恩恵を蒙っている。もし管仲のお蔭でなかったなら、今の我々は夷狄の風習に同化されて、ざんばら髪にして左前の着物を着せられていたかも知れぬ。名もない男女が義理立てをして、溝の中で首をくくって自殺して、誰にも賞められぬのと比べられては困るのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 管仲に関する、今度は子貢の質問。こうしてみると、桓公が覇王になるのを輔佐した管仲という存在が非常に難しい立場であったことや、それがしばしば孔子一門の議論の題にのぼっていたことがわかります。

 子路に対しては「管仲のやった良いことと悪いこと、そのバランスをよく考えてごらん」と、すこしごまかし気味に返した孔子ですが、あいてが子貢では同じ答えでは満足しますまい。言っていることはおなじですが、表現に工夫があります。

 いずれにしても、管仲は、己の実力と、公子糾あたりの凡才のもとでは実力を発揮できないこととを知っていました。そこで、汚名を被ることを承知の上で桓公の宰相となったのでしょう。

 孔子は、その能力を誉め、管仲の仁を思いやりますが、形式的には管仲は器が小さく、礼を知らないと言わざるをえなかったのでしょう。また、伯氏がそうであったように、管仲の仁義というものは分かる人にしか分からないものだ、という説明の苦しさを感じたことでしょう。