蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-07

[][][][]憲問第十四を読む(その15) 18:38 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

大夫僎、文子と同じく、これを公に升さる

 憲問第十四(333~379)

351 公叔文子之臣大夫僎。与文子同升諸公。子聞之曰。可以為文矣。

(訓)公叔文子の臣の大夫僎(せん)、文子と同じく、これを公に升(しょう)さる。子、これを聞いて曰く、以て文と為すべし。

(新)衛の公叔文子の臣であった大夫僎が、公叔の推薦によって、衛公の直参の大夫となり、一緒に公の前へ出て列んで仕えた。それを聞いて孔子が言った。公叔は死後、文と諡(おくりな)される価値がある、と。(果たしてその通りになった。)

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子の人物評が、その人の業績や能力、また世人の評判とは一線を画することに注意しなければなりませんね。普通この場合、抜擢されて活躍した方のサクセス・ストーリィに人々の眼は向きがちです。「管鮑貧時の交わり」でも、結局話の主役は管仲です。しかし、その管仲も、孔子に言わせれば「器」であり、業績を出したことよりも、そのお膳立てをしたもののほうにこそ、注目すべきなのです。儒教がその活動の中心に「教育」を置いているのも、そういう意味からでしょう。

 自分の能力が評価されないと言って憤るのは、これはよくあります。大口を叩くひとに地位を与えると口ほどではないことも、それと同じくらいあるでしょう。他者の能力を冷静に見極めることは、自分を客観視することほどは難しくありません。しかし、自分に仕える有能な人材を自分と同列に推挙する決断を下せる程までに公平であることは、かなり難しいでしょう。自分は有能な部下を失い、下手すれば推挙した者の活躍で自分が立場を失うかもしれないのですから。

 しかしその困難な決断を下せる公叔文子の国を思う気持ちを、孔子は評価したのでしょう。