蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-08

[][][][]憲問第十四を読む(その16) 22:17 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

衛の霊公の無道を言う

 憲問第十四(333~379)

352 子言衛霊公之無道也。康子曰。夫如是。奚而不喪。孔子曰。仲叔圉治賓客。祝鮀治宗廟。王孫賈治軍旅。夫如是。奚其喪。

(訓)子、衛の霊公の無道を言うや、康子曰く、夫れ是の如くんば、奚(なん)すれぞ喪(ほろ)びざる。孔子曰く、仲叔圉(ちゅうしゅくぎょ)、賓客を治め、祝鮀(しゅくだ)、宗廟を治め、王孫賈、軍旅を治む。夫れ是の如し、奚すれぞ其れ喪びん。

(新)孔子が衛の霊公の無軌道ぶりを話すと、康子曰く、そのような状態ならば、どうして滅亡せずにいることができるのでしょうか。孔子曰く、仲叔圉が外交を掌り、祝鮀が内政を治め、王孫賈が軍事を統べて、いずれも、成績を挙げている。このような状態だから、どうして滅亡に陥ろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 理想を言えば、能臣がそろって賢君が治めるのがいいのでしょう。しかし、君が何もせずに能臣が治める、というのは、悪くない。暗君が無道を行って、能臣がそれを輔佐しているのは、しばらくは保つことができるでしょうが、将来はないでしょうね。


これを言いて怍じざれば

 憲問第十四(333~379)

353 子曰。其言之不怍。則為之也難。

(訓)子曰く、其れこれを言いて怍(は)じざれば、則ちこれを為すや難し。

(新)子曰く、言うことをしゃあしゃあと言ってはにかむことを知らない人は、実行の方までは手の回らぬものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 逆に実行する人は、うかつなことを言わないものです。言うときも、自分が責任を持っているときには、慎重な物言いになり、失敗するかもしれないことはおそるおそる言うはず。

 という、私の一読の解釈は、新注に近い模様。

 はじ、ためろうことなく、きっぱりといいきれるのは、その実行に際しての困難を知りながら、困難を押しきってやり切るだけの、充実した自信があるからである。古注は、そういう風に読める。「内に其の実有れば、則ち之れを言いて慙じず、其の実を積む者は、之れを為すこと難し」。先の顔淵編第十二に、司馬牛が仁を問うたのにこたえて、「之れを為すこと難し、之れを言いて訒する無きを得んや」と参照すべき条であると、思う。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 顔淵第十二の司馬牛仁を問うとは、おしゃべりな司馬牛に対して、「仁者は言葉をつつしむものだ」と教えた話。それからすると新注と同じになるようですが、吉川先生は異なる意見を出します。

 「内に其の実有れば、則ち之れを言いて慙じず、其の実を積む者は、之れを為すこと難し」というのは、「きちんとした意見であれば堂々と言え、恥じるな」、「実行の時には、断固としてやり抜け」、という意味でしょう。君子としての態度が、逆になってしまいます。

 状況に応じて態度を改めるという儒教の柔軟性から言えば、どちらの解釈もありなのでしょうけれども、夫子の意図は奈辺にありや。