蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-16

ぼくは生きてます

[][][][]憲問第十四を読む(その23) 21:41 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その23) - 蜀犬 日に吠ゆ

子貢、人を方ぶ

 憲問第十四(333~379)

363 子貢方人。子曰。賜也賢乎哉夫。我則不暇。

(訓)子貢、人を方(たくら)ぶ。子曰く、賜や賢なるかな。我は則ち暇(いとま)あらず。

(新)子貢は人物評論がすきだ。子曰く、賜は何時の間にか賢者になってしまったな。私はやろうと思っても、だいいち暇がない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 夫子だって批評しますよね。というか、「春秋の筆法」を編み出した総本家ではないですか。しかし、夫子が子貢を諭したのは、一つ、子貢が自分の賢さによって自分の目を眩まされてしまうことをおそれたからでしょう。他人を批評する目をもって自分を見ることができて初めて、人間は成長できます。自分を高めるという日々の精進をしなさい、というアドバイスであったのでしょう。

 もう一つは、人を高めるような評論であるかどうかが重要です。他者の欠点を指摘してあげることは、教育にとって資する所が大きいのですが、物は言いようというか、言い方が良ければ相手を高めるであろう状況であっても、言い方が悪いことで人間関係をもこわしてしまうということは、ありえましょう。ですから夫子は「おまいさんは賢いねえ。」という、子貢を傷つけない言い方で諭したのでしょう。子貢はこの夫子の教えで、一層成長したことでしょう。


 人の悪口をいうのは、暇だから。その思想は儒教にとって重要ですね。なぜなら、ろくでもない行為というのは、暇によって生じることが多いから。「あんないい人が、なぜ犯罪を?」というのはワイドショーの紋切型ですが、「暇だから」というのも多いでしょうね。

大学 第二章

 謂わゆるその意を誠にすとは、自ら欺く毋きなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くする、此れを自ら謙(慊)すと謂う。故に君子は必ずその独を慎むなり。

 小人閒居して不善を為し、至らざる所なし。君子を見て、而る后厭然としてその不善を揜いてその善を著す。(然れども)人の己れを視ることその肺肝を見るが如く然れば、則ち何ぞ益せん。故に君子は必ずその独を慎むなり。

 曾子曰わく、「十目の視る所、十手の指さす所、其れ厳なるかな」と。富は屋を潤おし、徳は身を潤おす。心広ければ体も胖なり。此れを中に誠なれば外に形わると謂う。故に君子は必ずその意を誠にす。

金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫