蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-23

[][][][]憲問第十四を読む(その30) 19:35 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その30) - 蜀犬 日に吠ゆ

高宗は諒陰に、三年言わず

 憲問第十四(333~379)

375 子張曰。書云。高宗諒陰三年不言。何謂也。子曰。何必高宗。古之人皆然。君薨。百官総己。以聴於冢宰三年。

(訓)子張曰く、書に云う、高宗は諒陰(りょうあん)に、三年言(ものい)わず、とあり。何の謂いぞや。子曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古の人は皆な然り。君薨ずれば、百官は己れを総べて、以て冢宰(ちょうさい)に聴くこと三年なり。

(新)子張が尋ねた。書経に、殷の天子、高宗武丁は父の喪に服すること三年の間、長い話をしなかった、とありますが、どういう意味でしょうか。子曰く、何も高宗に限ったことではない。昔の人は皆なそうしたものだ。君主が亡くなると、百官は天子から離れて自己の責任で仕事をし、是非必要の場合は最高位の大臣、冢宰の指揮に従うこと三年であった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子張が夫子に質問。おそらく歴史の編修や校訂作業中ではなかったかと思われます。「天子が三年もものをいわない、ということは政治に必要な命令は誰が出したのでしょうか」と。

 引用の「書」の文句は、いま既に伝わらない篇の中のものである。いまの「尚書」では「説命(えつめい)」上篇に似た言葉があるが、この「説命」篇は、魏晋のころの人が、「論語」のこの言葉その他を資料として、偽作したものである。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 なお、三年の喪、というのは

(2)「三年」は、厳密には、満二年に一日を加えると、数え年で三年になる。儒教では、実際の死亡日の一日前日をもって死亡日とするので、実際の満二年目の命日が三年目となる。この三年の喪は、親の死のときの期間であり、最も長い。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 それにたいして孔子は、学而第一三年父の道を改むることなし」や里仁第四三年、父の道を改むるなきは、孝」を引き合いに出して、「百官は従来どおりきっちりと仕事をしたものだ」と教えたわけです。

 子張の疑問は、「ふつうの士大夫であればいざしらず、天子が何も指示しない、というのは国の運営に支障が出ないか」というものですが、孔子は、「天子といえども親の子だよ」という単純なもの、でした。


 ところで、

 おやが死ぬと、三年、じつは二十七か月もしくは二十五か月の、喪に服する、というのは、漢以後、一般人にとっては制度的なものとなり、官吏もその間は休職となるのが、清朝末までの制度であっった。ただし天子は、「論語」のこの教えにもかかわらず、除外例とされ、日を以って月に易え、二十七か月を二十七日ですます、というような便法が講ぜられた。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 とあり、仕方のない面もあるのでしょうけれども、そうやって合理性を追求して礼を簡素簡略化しても良いというのであれば儒教の精神は踏みにじられたことになりませんかね。実際、陽貨第十七の455では、「三年は長すぎる」と意見をもつ宰予にたいし、孔子が「予之不仁也」と、最下級に罵倒しているのですから。



上、礼を好めば、民、使い易き

 憲問第十四(333~379)

376 子曰。上好礼。則民易使也。

(訓)子曰く、上、礼を好めば、民、使い易きなり。

(新)子曰く、為政者が礼を尊重すれば、人民は温順で使いやすくなる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 自然と感化が及ぶ、ということでしょう。ただしこれは、そういう効果のために礼があるという意味ではないとのこと。

 上が礼を好むのはもと民を使おうとするためではないが、民の使い易くなるのは礼を好むための自然の効験である。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫