蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-30

[][]さとう好明『ロシア史異聞』ユーラシア・ブックレット145 東洋書店 21:20 はてなブックマーク - さとう好明『ロシア史異聞』ユーラシア・ブックレット145 東洋書店 - 蜀犬 日に吠ゆ

 ロシア文字(キリル文字)がうまく出せません。

ロシア史異聞 (ユーラシア・ブックレット)

ロシア史異聞 (ユーラシア・ブックレット)

 あとで書き直します。


[][][][]衛霊公第十五を読む(その6) 16:39 はてなブックマーク - 衛霊公第十五を読む(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

志士仁人は、生を求めて以て仁を害するなく

 衛霊公第十五(380~420)

387 子曰。志士仁人。無求生以害仁。有殺身以成仁。

(訓)子曰く、志士、仁人は、生を求めて以て仁を害するなく、身を殺して以て仁を成すあり。

(新)子曰く、道を求めんとする学徒たる志士、道に到達することのできた仁人は、生命が惜しいからといって道に背くことをしない。むしろ生命を犠牲にしても道を完くすることがある。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 文章の意味はわかりますが、「身体を敢えて毀損せざるは孝の始め」という教えもあることですから、やたら己を殺せばいいというものでもないでしょう。


 有名な条であり、説明を要しまいが、皇侃の「義疎」では、非常の場合であることを、丁寧にことわっている。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 私の考えとしては、人のいのちは尊いけれど、それはいのちであるが故に尊いのではなくて、よい行いができるから、生きていることが尊いのだと思います。生きることが目的なのではなくて、「よく生きる」ことこそが、君子の道であるのですから、仁を害してまでも生きつづけることは、これは逆にいのちを軽んじ貶めることになるのではないでしょうか。


 もう一つ、「志士」という語は日本では特殊な意味をもちますが、それは「孟子」に出典があります。

 ○志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず。勇士は其の元(こうべ)を喪うを忘れず。(縢文公下篇首章)

 書を読むにあたって肝要なことは、これらの言葉を反覆熟思するということである。志士とは、透徹した志を侍して節操を守る士のことである。節操を守る士は、困窮することはもとより覚悟のうえで、おそかれ早かれ飢餓のために溝や谷に転がり落ちて死する覚悟をつねに念頭において忘れることがない。勇士は、戦場で討死にすることはもとより望むところであるから、おそかれ早かれ首を取られようとなんら意に介しないだけの覚悟をつねに念頭に置いて忘れることがない。いやしくも士と生まれた者は、志士・勇士とならないようでは、これほど恥ずべきことはないのである。

 いま自分は、牢獄につながれた身となり、このまま生涯を終えようとしている。それを思えば、まさに志士たるの節操を守るよう心がけるべきであろう。溝や谷に転落死する覚悟をさえ忘れなければ、牢獄に生を終えることになろうと、少しも頓着することはあるまい。かえって本望とするところである。この志が確固不動のものとなってはじめて、人に求めることなく世に願うことなく、昂然として天地古今を見通すことができるのだ。なんと愉快ではないか。自分の学問がこのような域にまで進むに至れば、事に臨んでも勇士たる者に後れをとることはよもやあるまい。山林沼沢を管理する官人のなかにさえも志士や勇士と肩を列(なら)べうる者がいるというのに、士大夫でありながらかえってこの官人にひけをとるようでは、いったいなんの面目があろうか。

 (1)斉の景公が狩猟をしたとき、猟場の山林沼沢を管理する役人に出頭を命じたが、この役人は礼の規則にかなっていないことを理由に出頭を拒んだ。孟子は本章で節操を守った志士の例としてこの話を挙げている。

吉田松陰『講孟余話』中公クラシックス

 坂本龍馬がいっちょった、「どぶの中で死ぬときもまえのめりにたおれたい」とか何とかは、いま手許に『巨人の星』が見あたりません。


必ず先ず其の器を利にす

 衛霊公第十五(380~420)

388 子貢問為仁。子曰。工欲善其事。必先利其器。居是邦也。事其大夫之賢者。友其士之仁者。

(訓)子貢、仁を為さんことを問う。子曰く、工、その事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利にす。是の邦に居るや、其の大夫の賢なる者に事え、其の士の仁なる者を友とす。

(新)子貢が仁の道の実行について尋ねた。子曰く、職人が良い仕事をしようと思えば、必ずその前に役に立つ道具を揃えてからかかる。ある国で道を行おうとするなら、その国の上流の大夫の賢い者を選んで道を尋ね、その国の若い学徒の仁に志す者を選んで仲良しになり、互いに励ましあうことだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 これも、一読して疑問の湧く章句ですね。孔子の教えはよく分かりますが、「大工さんが云々」の例を子貢に説明する時に必要とするか? というところがひっかかります。後半の「よい人たちから感化を受けなさい」だけで十分通じると思うのですが。

 推理その一。この教えは子貢以外の人もいる場所でなされた。大工さんの例はまわりの弟子たちに分かりやすくするため。

 推理その二。子貢に、「庶民の暮らしからも学ぶ部分があるよ」と教えた。

 推理その三。商売を営む子貢はむしろ庶民的な説明のほうが伝わりやすかった。



 ヒルティの「第一部3月27日」より

 内的進歩をしめす最もよい徴候は、きわめて善良な、心のけだかい人びとのなかにいると心地よく感じ、凡俗な人たちのなかではつねに不快を覚えることである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫
眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)