蜀犬 日に吠ゆ

2010-04-05

[]煙草屋王子~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS 19:36 はてなブックマーク - 煙草屋王子~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS - 蜀犬 日に吠ゆ

 どうも、プリンス or プリンセスが思いうかばないので電源を入れる気がおきません。

世界樹の迷宮III 星海の来訪者(特典なし)

世界樹の迷宮III 星海の来訪者(特典なし)

 ボヘミアのフロリゼル王子なんてどうでしょう。

 今は煙草屋ですが。

クリームタルトを持った若者の話

 ロンドンに滞在中、才芸並びなきボヘミアのフロリゼル王子は、その人柄の魅力と思慮深い気前のよさとで、上下あらゆる階層の人々の人気をあつめた。世に知られていることだけをとっても、王子は非凡な人物だったが、それは彼が実際にしていることのほんの一部分にすぎなかった。常日頃はいたって穏やかな気性で、耕夫のごとき諦観をもって世間に処すことを習いとしていたが、このボヘミアの王子は、高貴の生まれによって運命られた生活以上の、冒険に満ちた型破りな人生に憧れを抱かぬわけではなかった。

スティーブンスン『新アラビア夜話』光文社古典新釈文庫

 

フロリゼル王子と刑事の冒険

殿下は長らく国を留守にし、公務を怠ったことから、蒙を啓かれた国民はつい先頃革命を起こし、王子はボヘミアの王座を追われてしまった。現在はルーパート街で煙草屋を営んでおられ、店には他国の亡命者たちもよくやって来る。

 わたしも時おり訪ねて行って、煙草を吸い、おしゃべりをするのだが、殿下は盛んなりし頃と少しも変わらぬ立派な御様子である。カウンターの後ろに坐っておられる姿は、オリュンポスの神さながらの風格をそなえている。坐っていることの多い生活のため、胴衣がややきつくなってきたようにお見受けするが、おそらく殿下はなんといっても、ロンドン一男前の煙草屋であろう。

スティーブンスン『新アラビア夜話』光文社古典新釈文庫

 これも、煙草屋の名前がわかったらギルドとして申し分ないのですが、ギルド「ルーパート街の煙草屋」ではねえ。


[]悲劇の王子~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS 19:36 はてなブックマーク - 悲劇の王子~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS - 蜀犬 日に吠ゆ

 どうも、プリンス or プリンセスが思いうかばないので電源を入れる気がおきません。

世界樹の迷宮III 星海の来訪者(特典なし)

世界樹の迷宮III 星海の来訪者(特典なし)


 「トルコの義経」ことジェムなんかどうでしょうか。

辺境の戦士国家からイスラーム世界帝国へ

イスラームの復興
トルコの「義経」ジェムの悲劇

 バヤズィト二世(在位一四八一~一五一二年)の時代は、メフメト二世とエジプト征服王セリム一世(在位一五一二~二〇年)との間にはさまれて、あまり華々しい話題のない時代、征服の停滞した時代、地味な守勢の時代などといわれている。だが、果たしてそうであろうか? 三〇年余におよぶかれの治世とその業績についてはまだまだ今後に研究の余地が残されているが、さしあたって、スレイマン一世(在位一五二〇~六六年)の時代に確立する「イスラーム国家」への基礎を固めた時代と評価することができる。

 バヤズィト二世時代の対外的発展、とりわけヨーロッパへの進出がにぶったのは、弟ジェムがヨーロッパ諸国の人質となっていたことと関係が深い。事件の発端は、メフメト二世の王位継承争いである。メフメト二世には二人の息子がいたが、死後最初にイスタンブルに入城して王位を継いだのは長子バヤズィトであった。当時のオスマン帝国では、君主の死後、いちはやくイスタンブルに上洛して玉座に座った者が王位につく「慣行」があった。したがって、地方に軍政官として派遣されていた王子たちにとって、赴任先がどこになるかは、死活問題であった。なぜなら、王位を継承しそこなった王子には、メフメト二世以来法典化された「兄弟殺しの法」による死がまっていたからである。

 弟のジェムは兄の王位継承権を認めず、ブルサで自分の名において貨幣を鋳造しアナトリアの支配権を要求した。しかし、かれのこの行動は、すでに過去のものとなりつつある遊牧分封制的で時代錯誤な行動であった。もとより兄がこうした要求を受け入れるはずもなく、以後兄弟間の争いとなった。ジェムは敗れ、最後にはオスマン朝の仇敵、ロードス島の聖ヨハネ騎士団のもとへ亡命することとなった。騎士団の団長とは旧知の間柄だったからである。ジェムの思惑は、騎士団の援助でハンガリー方面にゆき、そこから兄に対して再度戦いを挑むことであった。しかし、ジェムの思惑は裏切られ、騎士団はジェムをフランスに送った。

 こうしてオスマン帝国の王子はヨーロッパ諸国の対オスマン工作のための絶好の人質となったのである。騎士団はジェムが誘拐されるのを恐れて、フランスの城から城へ転々と幽閉先を変えた。この間、プランスのある領主の娘ヘレンと恋に落ちるなどの様々なロマンスがヨーロッパ人の「オリエンタリズム」をくすぐる逸話としてまことしやかに伝えられているが、真実は家族を偲ぶ悶々とした幽閉生活であったようである。バヤズィトもまたジェムを解放させないためにフランス王ルイ十一世に手紙を書いたり、かれを殺した者に賞金をあたえる布告をだすなど、自分の王位を狙うジェムを抹殺しようと策謀をめぐらせた。その後ジェムは一四八九年五月にローマへ送られた。やがてフランス王シャルル八世がナポリ王国を滅ぼすべくイタリアへ侵攻すると、かれはジェムを反オスマン「十字軍」のシンボルとしてエルサレムへ連れていくために、かれを伴ってナポリへと進軍した。しかし、ジェムは行軍中に発病し、ナポリに入ってまもなく息を引きとった。これもまた、ジェムと近しい関係にあったボルジア家に毒殺されたのではないかという憶測を呼んでいる。なぜなら、ジェムをフランス軍に引き渡したのはボルジア家出身の教皇アレクサンデル六世であり、またジェムは名高いチェーザレ・ボルジアと親しい間柄であったからである。兄との王位争いに敗れたこの「トルコの義経」とでもいうべきジェムの名は、ヨーロッパではジェムジェムの名で、メフメト二世やスレイマン一世についでよく知られている。

永田雄三 羽田正『成熟のイスラーム社会』世界の歴史15 中央公論社

 しかし、「チェーザレ・ボルジアと親しい」ことが毒殺の証拠としてあげられてしまうのですから、流石と言うべきかなんと言ってよいやら。

 あと、「ジェムジェム」って仇名はひどいと思います。


 うーん。悪くないのですが。ギルド名が「アンチ・オスマン・クルセダーズ(略称A・O・C)」とか、そういうのがぱっとしないのでねえ。


 「御曹司」義経、というのもありでしょうか。


[][][]蛇の章を読む(その48) 21:40 はてなブックマーク - 蛇の章を読む(その48) - 蜀犬 日に吠ゆ

諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る

第一 蛇の章

一二、 聖 者

二一一 あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、――諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

二一二 智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執著から脱して、荒れたところなく、煩悩の汚れのない人、――諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

二一三 独り歩み、怠ることのない聖者、非難と賞讃とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように他人に導かれることなく、他人を導く人、――諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

二一四 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、――諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

二一五 梭のように真直ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正をつまびらかに考察している人、――諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

二一六 自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 もう同じようなことの繰り返しですね。

 「水に汚されない蓮のように」ということは、だいたい水の中にはいると汚されるということでしょうか。沐浴で身を清めるのではないのでしょうか。

 いちおう註。

二一四 柱――河岸、池などの岸辺(tittha)で人の沐浴するところに、四角或いは八角の柱を建て、貴い家の人でも、賤しい家の人でも、その柱に身体をこすりつけて洗う。しかしその柱は傲らずへり下らないのをいう(Pj.)。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 インドには変わった習慣がありますね(日本中心主義)。沐浴し、柱に身体をこすりつけて清めるのでしょうか。日常の身体洗いと宗教的な沐浴はまた異なるのでしょうか。

 しかし、その柱が「傲らずへり下らない」というのはどういうことなのか判然としません。柱は柱で立ってるだけでしょう。まあそういうことなのでしょうけれども、譬喩としてうまいのか分かりません。


二一五 真直ぐにみずから安立し――原語(thitatta)は第三二八、三五九、三七〇、四七七、五一九詩にも出てくる。ジャイナ聖典にも thiy' appa として出てくる。

 正と不正を―― visamam saman ca. 'right and wrong'(Chalmers). 原語から見ると、すべて他のものに対して「平らか」であるのが正であり、「平らかでない」のが不正なのである。西洋人の考える(正)(不正)とは、少しく喰い違うところもあると考えられる。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「平らかである」というのは、例えば天秤ばかりのようなイメージなのでしょうか。のちの八正道などはそういうバランスの問題でもありましたからね。

 しかしまたジャイナ教に逆戻りしそうな気配。


二一六 これは、現代でも大きな意味をもっている生活信条であろう。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 なにかを「しない」ということも、確かに大切だとは思いますが、そしてそれは実践するのが困難であろうとは思いますが、それでも「その先」のことを考えたくなってしまうものですよね。仏教は、それを押しとどめるのですね。だから、「賞讃にも心を動かさない」、「善も悪もなさない」という境地を大切にするのですね。


[][][][]衛霊公第十五を読む(その12) 19:36 はてなブックマーク - 衛霊公第十五を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は能くするなきを病え

 衛霊公第十五(380~420)

397 子曰。君子病無能焉。不病人之不己知也。

(訓)子曰く、君子は能くするなきを病え、人の己を知らざるを病えざるなり。

(新)子曰く、諸君は自分の能力が不十分ではないかと常に気を使い、人が自分を認めてくれないなどは問題にせぬがよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 また出ましたね。本当に、こう何遍も繰り返されると夫子のやせ我慢なのではないかと思えてきます。当時の人もそうだったのではないでしょうか。で、孔子に会うととりあえず「あんなこと言ってますけど、ほんとは出世したいんでしょ?」とか聞いてみるため、孔子の方の「いやあ、わしなんてまだまだ修行中ですよ。」とかいう言葉のバリエーションばかりが増えてゆく結果になったのではないでしょうか。

参照

学而第一人を知らざるを患う

里仁第四知らるべき無きを患うるなり

憲問第十四己の能くするなきを患う

 ほかにも、

学而第一人知らずして慍おらず

憲問第十四「我を知る者は其れ天か


 孔子が本音を語ったのは、(勿論)子貢に問われたときです。子貢の方でも質問に工夫を凝らしたため、孔子もみずからの志を述べることができたわけです。

子罕第九斯に美玉あり


名の称せられざるを疾む

 衛霊公第十五(380~420)

398 子曰。君子疾没世而名不称焉。

(訓)子曰く、君子は世を没して名の称せられざるを疾む。

(新)子曰く、諸君はもし死ぬまでの間に、ひとかどの仕事をしたという評判をとらなければ、それは不名誉ですぞ

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 浮雲とか、(子夏曰くですが)富貴在天とか言っているわりには生臭いセリフのようにも聞こえます。そもそも、名声などというものは求めて得られるものでしょうか。知られなくてもいいんだ、とあんなにしつこく繰り返していたくせに。


この世の生を没るまで、つまり生前のうちに、なんらの名誉をもたないのを、君子はきらう、と読む説のほうが有力でもあり、妥当でもある。子罕第九の、「四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ」と考えあわせるとき、一層そう思われる。清の銭大昕の「十駕斎養新録」には、いろいろと証拠をあげて、名誉は君子の忌避すべきものでないことを説いている。さらにまた「史記」の「世家」では、孔子がその死に先立ち、一生の結論として、「春秋」の著作をはじめようとするときの言葉として、この条を引く。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 なるほど。出世することだけでなく、「春秋」編纂という個人的事業もふくむわけですね。とするなら、名誉を求めるのではなくて、ひとかどの業績を立ててやろうと高い志をもつことが重視されることになり、それなら話のつじつまはあいます。つじつまが合えばいいというものでもないのでしょうけれども。