蜀犬 日に吠ゆ

2010-04-05

[][][][]衛霊公第十五を読む(その12) 19:36 はてなブックマーク - 衛霊公第十五を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は能くするなきを病え

 衛霊公第十五(380~420)

397 子曰。君子病無能焉。不病人之不己知也。

(訓)子曰く、君子は能くするなきを病え、人の己を知らざるを病えざるなり。

(新)子曰く、諸君は自分の能力が不十分ではないかと常に気を使い、人が自分を認めてくれないなどは問題にせぬがよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 また出ましたね。本当に、こう何遍も繰り返されると夫子のやせ我慢なのではないかと思えてきます。当時の人もそうだったのではないでしょうか。で、孔子に会うととりあえず「あんなこと言ってますけど、ほんとは出世したいんでしょ?」とか聞いてみるため、孔子の方の「いやあ、わしなんてまだまだ修行中ですよ。」とかいう言葉のバリエーションばかりが増えてゆく結果になったのではないでしょうか。

参照

学而第一人を知らざるを患う

里仁第四知らるべき無きを患うるなり

憲問第十四己の能くするなきを患う

 ほかにも、

学而第一人知らずして慍おらず

憲問第十四「我を知る者は其れ天か


 孔子が本音を語ったのは、(勿論)子貢に問われたときです。子貢の方でも質問に工夫を凝らしたため、孔子もみずからの志を述べることができたわけです。

子罕第九斯に美玉あり


名の称せられざるを疾む

 衛霊公第十五(380~420)

398 子曰。君子疾没世而名不称焉。

(訓)子曰く、君子は世を没して名の称せられざるを疾む。

(新)子曰く、諸君はもし死ぬまでの間に、ひとかどの仕事をしたという評判をとらなければ、それは不名誉ですぞ

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 浮雲とか、(子夏曰くですが)富貴在天とか言っているわりには生臭いセリフのようにも聞こえます。そもそも、名声などというものは求めて得られるものでしょうか。知られなくてもいいんだ、とあんなにしつこく繰り返していたくせに。


この世の生を没るまで、つまり生前のうちに、なんらの名誉をもたないのを、君子はきらう、と読む説のほうが有力でもあり、妥当でもある。子罕第九の、「四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ」と考えあわせるとき、一層そう思われる。清の銭大昕の「十駕斎養新録」には、いろいろと証拠をあげて、名誉は君子の忌避すべきものでないことを説いている。さらにまた「史記」の「世家」では、孔子がその死に先立ち、一生の結論として、「春秋」の著作をはじめようとするときの言葉として、この条を引く。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 なるほど。出世することだけでなく、「春秋」編纂という個人的事業もふくむわけですね。とするなら、名誉を求めるのではなくて、ひとかどの業績を立ててやろうと高い志をもつことが重視されることになり、それなら話のつじつまはあいます。つじつまが合えばいいというものでもないのでしょうけれども。