蜀犬 日に吠ゆ

2010-04-13

[][][][]衛霊公第十五を読む(その20) 20:43 はてなブックマーク - 衛霊公第十五を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

必ずこれを察す

 衛霊公第十五(380~420)

406 子曰。衆悪之。必察焉。衆好之。必察之。

(訓)子曰く、衆、これを悪むは、必ずこれを察し、衆、これを好むも、必ずこれを察す。

(新)子曰く、皆が悪く言った人は、必ず自分の目でしらべ直す。皆が善く言った人をも、必ず自分の目で調べ直す。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 夫子は、世間の評価というものを参考にこそすれ、それに従うと言うことをしない人でした。子路第十三の子貢との対話でも、町内の人と言っても、しっかり者の見える人とそうでない人がいる、といっています。

 群衆は往往にして衆愚であることがあり、それが原因となって独裁者が生まれ、村八分が生まれる。それに対する警告である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 また、夫子が人物を評価するときには、誰をか毀り誰をか誉めん、というならば、自分できちんと判断できるまでぶつかった人のみを、評価したり批判したりした、ということです。

 衆人の好悪は公平のようであるが、衆人に悪まれてる人の中には独立独行して世俗に迎合しない人があるかもしれないから、衆人から悪まれてる人でも君子は必ず考察を加える。衆人から好まれてる人の中には主義もなく節操もなくただ世俗に迎合して悦ばれてる人があるかもしれないから、衆人から好まれてる人でも君子は必ず考察を加える。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 衆が悪んでも孔子が認めた例

公冶長第五縲絏の中に在りと雖も其の罪に非ざるなり

 衆が好んでも孔子が認めなかった例

公冶長第五孰れか微生高を直しと謂うや


人、能く道を弘む

 衛霊公第十五(380~420)

407 子曰。人能弘道。非道弘人。

(訓)子曰く、人、能く道を弘む。道の人を弘むるには非ず。

(新)子曰く、人間は努力して正義の道を拡充しなければならない。どうかすると人間は、正義の道に乗りかかって自分の名を売り拡めようとする。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 宮崎先生、生臭い。身近にそういう人がいたのでしょうか。素直に読めば加地先生のような解釈となりましょう。

 老先生の教え。人間が(努力して)道徳を実質化してゆくのであって、道徳が(どこかに鎮座していて、それが自然と)人間を高めてゆくわけではない。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 道弘人、考えが進めば、「道の体現者」への盲従を生み出すわけであり、危険な救世主思想につながりかねません。あくまで現実主義・人間中心の儒家ですから、歩みは遅々としていても、自分の力で道を実現してゆくしかないのです。


過ちて改めず

 衛霊公第十五(380~420)

408 子曰。過而不改。是謂過矣。

(訓)子曰く、過ちて改めず、是を過ちと謂う。

(新)子曰く、自分の間違ったことに気付きながら、あくまで非を通そうとする人ある。そこに過失が完成される。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 儒家は現実路線ですから、君子と雖も過ちをおかします。しかし、その過ちかたが小人とは異なるが故に君子君子たり得るのです。

参照

学而第一過ちては改むるに憚ること勿れ

雍也第六「(顔回は)過ちを弐(ふたた)びせず

子罕第九「過ちては改むるに憚ること勿れ

子張第十九「小人の過ちや、必ず文る

子張第十九「君子の過ちや、日月の食の如し


 人は、失敗してしまうとどうしても心がかたくなになってしまい、失敗をごまかそうとかなかったことにしようとかします。そうではなくて、失敗を失敗であるときちんと見つめる勇気が、君子と小人を分けることとなるのでしょう。