蜀犬 日に吠ゆ

2010-04-22

[][][][]季氏第十六を読む(その1) 19:58 はてなブックマーク - 季氏第十六を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

季氏、将に顓臾を伐たんとす

 季氏第十六(421~434)

421 季氏将伐顓臾。冉有季路見於孔子曰。季氏将有事於顓臾。孔子曰。求。無乃爾是過与。夫顓臾。昔者先王以為東蒙主。且在邦域之中矣。是社稷之臣也。何以伐為。冉有曰。夫子欲之。吾二臣者。皆不欲也。孔子曰。求。周任有言。曰。陳力就列。不能者止。危而不持。顚而不扶。則将焉用彼相矣。且爾言過矣。虎兕出於柙。亀玉毀於櫝中。是誰之過与。冉有曰。今夫顓臾。固而近於費。今不取。後世必為子孫憂。孔子曰。求。君子疾夫舎曰欲之。而必為之辞。丘也聞有国有家者。不患寡而患不均。不患貧而患不安。蓋均無貧。和無寡。安無傾。夫如是。故遠人不服。則脩文徳以来之。既来之。則安之。今由与求也相夫子。遠人不服。而不能来也。邦分崩離析。而不能守也。而謀動干戈於邦内。吾恐季孫之憂。不在顓臾。而在蕭牆之内也。

(訓)季氏、将に顓臾(せんゆ)を伐たんとす。冉有、季路、孔子に見(まみ)えて曰く、季氏、将に顓臾に事あらんとす。孔子曰く、求や、乃ち爾は是れ過てることなきか。夫れ顓臾は、むかし先王、以て東蒙の主となせり。且つ邦域の中にあり。是れ社稷の臣なり。何ぞ伐つを以て為さん。冉有曰く、夫子これを欲す。吾ら二臣の者は皆な欲せざるなり。孔子曰く、求や、周任(しゅうじん)言えるあり。曰く、力を陳べて列に就き、能わざれば止む、と。危くして持せず、顚(くつが)えりて扶けずんば、将(は)た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言過てり。虎兕、柙(こう)より出で、亀玉、櫝中(とくちゅう)に毀(やぶ)れなば、是れ誰の過ちぞ。冉有曰く、今夫れ顓臾は固くして費に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂えと為らん。孔子曰く、求や、君子は夫のこれを欲すと曰うを舎(お)きて、必ずこれが辞を為すを疾(にく)む。丘や聞く、国を有(たも)ち家を有つ者は、寡きを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からずを患う、と。蓋し、均しければ貧しきことなく、和すれば寡きことなく、安ければ傾くことなし。夫れ是の如し。故に遠人服せざれば、文徳を脩めて以てこれを来す。既にこれを来せば、則ちこれを安んず。今由と求や、夫子を相け、遠人服せずして、来すこと能わず。邦、分崩離析して守る能わざるなり。而して干戈を邦内に動かさんと謀る。吾れ恐らくは季孫の憂えは、顓臾にあらずして、蕭牆の内にあらん。

(新)魯の大臣の季氏が顓臾の邑を伐つ計画をした。冉有と季路が孔子に面会して曰く、季氏はいま顓臾を攻めようとしています。孔子曰く、冉求よ、お前は何か考え違いをしているのではないか。顓臾という邑は、むかし周の祖先が東蒙山を祭るために封じた国であって、魯国の領土に取囲まれているが、独自の社稷を祀る権利をもった属国である。これを攻めるという法はない。冉有曰く、季氏大臣が主張していることで、私たち二人は実は不賛成なのです。孔子曰く、冉求よ聞け、周任の言った言葉に、出来る限りの力を出し、位にあって奉仕するが、出来なくなれば退任する、と。足許が危い時に傍から支え、転びかけた時に助けおこすのが、付添人の相という者の役目だが、もしそれが出来なかったら相などはいらぬ。その上にお前が今言ったことも心得ちがいだ。(官吏にはそれぞれの職責がある。)動物園の園丁が虎や野牛に檻から逃げ出され、お庫番が預っていた玉器や亀甲が箱の中で毀れていたとしたなら、知らなんだと申してすうまされることではない。冉有曰く、しかし多少の理由があります。顓臾の邑は城が堅固で、季氏の根拠地の費の邑のすぐ近くにあります。今のうちに片付けておかなければ、行く行くは子孫の代になって大きな禍の種になるかも知れません。孔子曰く、冉求よく聞け。お前たちは自分の野心から出たことを匿して、空々しい理窟を設けるものではない。私が聞いた言葉に、国なり領地なりを支配する者は、人口の寡いのを苦にせずに、負担の不均等なことに気をくばれ。貧乏なのは心配する必要がないが、不安なのが怖い、とある。考えてみれば、負担が均等ならば、貧乏ということは起りにくい。平和が続けば人口は増え、不安の種が除かれれば、滅亡の危険はなくなる。これは自然の法則だ。だからもし遠方の異国を懐けようとすれば、自ら礼儀を守り、平和な手段で、向うから進んで修好に来るのを待ちうけるものだ。そこで向うの人がやってきたなら、安心させるのが第一だ。ところが今聞いていると、由と求とは、大臣季氏の相となって、異国を懐けてこれと修好することができない。自分の国が内部から崩壊する危険があるのを防止することも出来ないでいて、すぐ近くの国に戦争を吹きかけようとしている。私の見るところでは、季氏にとって危険な敵国は、顓臾の邑だと思うのはお門違いで、本当は腹心の子分だと思っている連中のなかにいるのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子路がまったく発言しないのは、内心忸怩たる部分があるからに違いありません。