蜀犬 日に吠ゆ

2010-04-24

[][]新井理恵『ペケ』2 小学館文庫 20:18 はてなブックマーク - 新井理恵『ペケ』2 小学館文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 2巻が出ました。うーむ。因幡くんだけで、このあと延々とネタにしていくんですよね。強引ですが、繰り返して読むとじわじわくる、不思議なギャグ。

×―ペケ― 2 (小学館文庫 あE 5)

×―ペケ― 2 (小学館文庫 あE 5)

 日本経済新聞の url もそうですが、こういう、「アマゾンに書影を提供しない出版社」も、結構時代後れだと思います。どのくらいの手間がかかり、どういう判断で提供しないのかは分からないのですが、私のようにアマゾンから買わないにしてもウェブから本の情報を仕入れている人間は、タイトル等がうろおぼえで、本屋で思い出せなかったりすることがあり、そのときは「まあ、書名を覚えてないってことはそんなに興味がないってことかも」などと自分を納得させて本を買うのをあきらめてしまいます。そういうのって、私だけなのかも知れませんが、少なくとも私は、書影の方で当たりを付けて本を買うことも、ごくたまにありますよ、という感じですので、わたしに本を買わせたい人はアマゾンに書影を提供することをお薦めするものであります。


[]メンバー募集~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS(その3) 20:02 はてなブックマーク - メンバー募集~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

ほし(ゾディアック)

 オレの目指す星座は、たったひとつ!

 そしてそのために、勝利あるのみ!

 大エーテル星術1号! 2号! 3号! 新大エーテル星術1号だ!

巨人の星(1) (講談社漫画文庫)

巨人の星(1) (講談社漫画文庫)

かぜのこ(シノビ)

 目にも止まらぬ駿足で、どんなところにも忍び込めるのである。

にんけん(モンク)

 文句あるか!? 好きなんだよ!

 忍剣はもと、今川義元の幕下で、海道一のもののふといわれた、加賀見能登守その人の遺子(わすれがたみ)であるのだ。かれの天性の怪力は、父能登守のそれ以上で、幼少から、快川和尚に胆力をつちかわれ、さらに天稟の武勇と血と涙とを、若い五体にみなぎらせている熱血児である。

神州天馬侠(一) (吉川英治歴史時代文庫)

神州天馬侠(一) (吉川英治歴史時代文庫)

ペルシニー(ファランクス)

 ファランクスは悩みますよね。だって、集団戦法なのだから、最低でも100人は欲しいでしょう(十列×十列)? 『三国志』の関羽、張飛あたりかもなあ、と思いつつ戦場での活躍を見るに趙雲がはまり役。ですが。プリンセスを命がけで守る忠節(ギルドマスターには知らんぷり)に焦点を当てて。

 すべてを捨てて暗君ルイ=ボナパルトに尽くしつづける、超帝政派! 逆の意味のウルトラ!

怪帝ナポレオン3世

怪帝ナポレオン3世

 (うーむ。ファランクスには、和月先生の「キャプテン・ブラボー」も思いついたのですが、和月先生の漫画はキャラいじりが激しいので、こっちが思い入れを込める余裕が無いんですよね。設定に「遊び部分」がないというか。南條→山口の「シグルイ」みたいな再解釈を、素人でも出来るのがRPGの魅力の一つですが、設定厨の作品はそいういう「遊び」に欠ける。のが残念。『武装錬金』の作品自体はすごく好きなのにね。)

かんたい(ファランクス)

 大木を根こそぎ抜いて振りまわす怪力をもってしても、如何せんつかえる君が悪すぎた。運をためしに冒険者となる。

とし(ウォリアー)

 勿論。土方歳三ではなくて「N・S・P」のヒッティー・カーター。どうして「トシさん」て呼ばれるんだろう? 遅れたきたためにすべての負け戦を味わうはめになった「戦さ人」。

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

とくさん(モンク)

 口より先に棒が出る破戒僧。

その二 徳山の棒・臨済の

棒もも多用して接化の手段として確立したのは、もともと臨済であった。臨済と徳山は、同時代の人であり、寂年も相い前後している。ところで、臨済が棒を使用するに到った経過には、徳山が棒を使用しているのを臨済は知っていて、それを意識していたようである。同じく『祖堂集』の臨済章に次のようにある。

徳山は修行者がやってくるのを見ると、いつも棒で打つというので、臨済はそれを心得て、侍者を徳山の下へ遣わすことにした。「徳山が君を打ったら、君は、すぐに徳山の拄杖を奪い、それで一打ちくらわしてこい」。

従者は、かくて徳山に到ると、すべて師の指示通りにした。徳山はすぐに方丈へ帰った。侍者は臨済に戻ると報告した。臨済は言った、「前々からこの老僧をただものではないとにらんでいた」。(Ⅴ―九九)

(略)

三百則上31則の、「徳山未跨棒話」を紹介してみよう。

鼎州徳山の見性大師(龍潭に嗣ぐ。諱は宣鑑)は、小参で大衆に示した。「わたしは、今夜、何を問われても答えん。問う者は三十棒だ」。

その時、ある僧が出て来て礼拝すると、徳山はすかさず打った。

僧、「わたくしは、まだお訊ねもしませんのに、どうしてわたくしを打つのですか」。

徳山、「君はどこの者だ」。

僧、「新羅の者でございます」。

徳山、「君は、まだ船に乗らん前に、もう三十棒をくらっておる」。(河村本―一三〇頁)

 徳山はどこまでも空じ尽くすことを、一棒で具体的に教えるのである。出典は、『円悟拈古』26則である。

 次に三百則中45則の「徳山問即有過」の話をみてみよう。

徳山は衆に示して言った、「問えば過を犯すことになるし、問わねば今度は離叛することになる」。

その時、ある僧が出て来て礼拝するやいなや、徳山はその僧をすかさず打った。

僧、「わたくしは、まだお訊ねもしていませんのに、どうしていきなりお打ちになるのですか」。

徳山、「君が口を開くと言っても、一体何ができるのか」。(河村本―一六〇頁)

(略)否定し尽くしきった根源語を一棒で示さんとしているのである。いきなり棒で打たれる修行者のとまどいと、端的を示そうとする親切な徳山の接化が交錯するのである。無闇に棒を弄する手段と化せば、活きた徳山の棒も、やがて「あらあらしき造次」となるのである。

石井修道『中国禅宗史話』禅文化研究所

 とにかくよく殴りかかってくる人であったことは、間違いありません。あと、好物は焼き餅。

その一 久しく龍潭を嚮ぐ――徳山宣鑑――

 徳山宣鑑は、建中三年(七八二)に、剣南西川(四川省成都)の周氏に生まれた。生まれながら、なまぐさを食べず幼きより英敏であった。若くして出家し、二〇歳で具足戒を受け、律蔵を窮めた。のちに焼餅屋の龍潭崇信の法嗣となった徳山が、老婆の焼餅を食いそこなった話は、(略)宋代にはよく知られていたもので、道元禅師が『心不可得』の巻に示して有名である。徳山を語る場合に省くことのできない話であるから、周知のことではあるが、『心不可得』の巻を紹介しておこう。

いはゆる、徳山宣鑑禅師、そのかみ『金剛般若経』をあきらめたりと自称す。あるいは周金剛王と自称す。ことに『青龍疏』をよくせりと称す。さらに十二担の書籍を撰集せり。斉肩の講釈なきがごとし。しかあれども、文字法師の末流なり。あるとき、南方に嫡嫡相承の無上の仏法あることをききて、いきどほりにたへず、経書をたづさへて山河をわたりゆく。ちなみに龍潭の信禅師の会に投ぜんとおもむく、中路に歇息せり。ときに老婆子きたりあひて、みちのかたはらに歇息せり。ときに鑑講師とふ、「なんぢはこれなに人ぞ」。婆子いはく、「われは売餅の老婆子」。徳山いはく、「わがためにもちひをうるべし」。婆子いはく、「和尚もちひをかうてなにかせん」。徳山いはく、「もちひをかうて点心にすべし」。婆子いはく、「和尚のそこばくたづさへてあるは、それなにものぞ」。徳山いはく、「なんぢきかずや、われはこれ周金剛王なり。『金剛経』に長ぜり、通達せずといふところなし。わがいまたづさへたるは、『金剛経』の解釈なり」。かくいふをききて、婆子いはく、「老婆に一問あり、和尚これをゆるすやいなや」。徳山いはく、「われいまゆるす、なんぢこころにまかせてとふべし」。婆子いはく、「われかつて『金剛経』をきくにいはく、『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』。いまいづれの心をかもちひをしていかに点ぜんとかする。和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず」。徳山ときに茫然として祇対すべきところをおぼえざりき。婆子すなはち払袖していでぬ。つひにもちひを徳山にうらず。うらむべし、数百軸の釈主、数十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負処に堕して、祇対におよばざること。正師に嗣承せると、正法をきけると、いまだ正法をきかず、正師をみざると、はるかにことなるによりてかくのごとし。徳山このときはじめていはく、「画にかけるほちひは、うゑをやむるにあたはす」と。いまは龍潭に嗣法すと称す。(『全集』巻上―六四~六五頁)

石井修道『中国禅宗史話』禅文化研究所
中国禅宗史話―真字「正法眼蔵」に学ぶ

中国禅宗史話―真字「正法眼蔵」に学ぶ


[][][][]季氏第十六を読む(その3) 19:55 はてなブックマーク - 季氏第十六を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

禄の公室を去ること五世

 季氏第十六(421~434)

423 孔子曰。禄之去公室。五世矣。政逮於大夫。四世矣。故夫三桓之子孫。微也。

(訓)子曰く、禄の公室を去ること五世なり。政、大夫に逮(およ)ぶこと四世なり。故に夫の三桓の子孫微なり。

(新)孔子曰く、魯の国では君主が内政の権を失ってから五代たった。政権が家老の手に移ってから四代たったわけだ。そこで今度は家老の家、桓公から出た御三家が衰える番になってきたのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 422で説明したことを魯の国の現状にあてはめる。こうした直接的な言い方は、これまでの各章には出て来ませんでしたが、孔子がだいぶ政治に踏み込んだ発言をしていたことが分かります。