蜀犬 日に吠ゆ

2010-05-06

[][][]古今和歌集を読む 仮名序(その4) 21:05 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 仮名序(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

 古今集を読む。

仮名序

 いにしへよりかく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ広まりにける。かの御代や、歌の心を知ろしめしたりけむ。かの御時に、正三位柿本人麿なむ、歌の聖なりける。これは、君も人も身をあはせたりといふなるべし。秋の夕べ竜田川に流るゝ紅葉をば、帝の御目には錦と見たまひ、春の朝吉野の山の桜は、人麿が心には雲かとのみなむおぼえける。又、山の辺の赤人といふ人ありけり。歌に、あやしく妙なりけり。人丸は赤人が上に立たむ事かたく、赤人は人麿が下に立たむ事かたくなむありける。奈良の帝の御歌、「竜田川もみぢ乱れて流るめり、渡らば錦中や絶えなん」。人麿、「むめの花それとも見えず、久方の天ぎる雪のなべて降れれば」「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」。赤人「春の野にすみれつみにとこし我ぞ、野をなつかしみ一夜ねにける」「和歌の浦に潮みちくれば、潟をなみ、葦辺をさして鶴鳴きわたる」この人々をおきて、又、すぐれたる人も、呉竹の世々にきこえ、片糸のよりよりに絶えずぞありける。これよりさきの歌を集めてなむ、万葉集と名づけられたりける。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

[][][][]陽貨第十七を読む(その1) 20:39 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

陽貨、孔子を見んと欲す

 陽貨第十七(435~460)

435 陽貨欲見孔子。孔子不見。帰孔子豚。孔子時其亡也。而往拝之。遇諸塗。謂孔子曰。来。予与爾言。曰懐其宝而迷其邦。可謂仁乎。曰不可。好従事而亟失時。可謂知乎。曰不可。日月逝矣。歳不我与。孔子曰。諾。吾将仕矣。

(訓)陽貨、孔子を見んと欲す。孔子見えず。孔子に豚を帰(おく)る。孔子其の亡きを時として往いて拝す。これに塗に遇う。孔子に謂いて曰く、来れ、予れ爾と言わん。其の宝を懐きて其の邦を迷わすは、仁と謂うべきかと曰わば、不可なりと曰わん。事に従うを好みて、亟(しばし)ば時を失うを、知と謂うべきかといわば、不可なりと曰わん。日月は逝く、歳は我と与にせず、とあり。孔子曰く、諾、吾れ将に仕えんとす。

(新)魯の季氏の家臣で権力者の陽貨が孔子に会見を求めたが孔子は会いに行かなかった。そこで孔子に豚を贈った。孔子はわざとその留守を伺って返礼に行ったが、あいにく途中でぶつかった。陽貨が曰く、丁度よかった。君に話したいことがある。大切な宝を持ちぐされにして、国人が戸惑っているのを放っておくのは、仁の道に叶っているかと聞かれたら、そうではないと答える外ないだろう。本当は政治が好きでありながら、何度も出番を失うのは、知者のすることかと聞かれたら、そうではない、と答える外ないだろう。月日はどんどん過ぎ去る、歳月は人を待たない、という言葉をどうお考えか。孔子曰く、もうよい。私も仕官しようか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 しかし実際に陽貨のもとには従わないのでした。

 この問答において、陽貨と孔子の対話を細かく切らないで、一連の長い言葉の中に、陽貨が孔子に代って自問自答したように読むのは、兪樾の古書疑義挙例の説によった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子はお高い男なのでしょうか?

 我は賈を待つ者なりとか言っていて、いよいよお誘いがきたら、「陪臣如きが!」と不機嫌になる。そんな仁徳者。まあ、専横する家臣になど仕えたら悪事の片棒を担がされるのは、冉有と季路のコンビで実証済みですから、蘧伯玉がそうしたように、国が無道ならばぐるっと巻いて懐に入るように引っこんでおればいい、という態度であったのでしょう。


 陽貨は一名を陽虎といい、元来、家老季氏の家臣であったが、主人季氏をもしのぐ権勢をもち、下克上の代表として、松永弾正的な人物であった。孔子五十歳の定公八年には、ついに謀反をおこし、主人季氏ばかりでなく、魯の公室に対しても弓を引き、それに失敗すると、魯の公室の重要な宝物である玉と弓を持ち出して、国外へ亡命するという騒動を引き起こした。(略)「論語」のこの条は、この大悪人陽虎が、まだ謀反を起こさぬまえ、孔子に対してもはたらきかけようとした際の挿話であって、「孟子」の「滕文公」下篇にも、このことについて記述がある。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 陽虎といえば、「孔子の容貌が、偶然にも陽虎と似ていた」ために匡で畏すはめに陥ったのですが、この対面の時など、御者は笑いを必死にこらえていたのでしょうか。「どっちがどっちだよ(笑)」とかなんとか。