蜀犬 日に吠ゆ

2010-05-14

[][][][]陽貨第十七を読む(その9) 19:39 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

郷原は徳の賊

 陽貨第十七(435~460)

448 子曰。郷原。徳之賊也。

(訓)子曰く、郷原は徳の賊なり。

(新)子曰く、誉められ者になろうとしている青年ほど鼻もちならぬ偽者はない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 しかしどうして「郷原」で偽善者の意となるのでしょう。

 「郷原」の語は、えせ君子を意味するにちがいないが、その語源的解釈は、古注と新注とでちがう。古注は「原」の字を「ゆるす」と読んで、迎合的に人を寛恕することと解し、「郷」の字については、至る所の郷(さと)においてそうする、という説と、「郷」は同音の「向」の仮借であり、人に郷(むか)ってそうするのだという説と、二説をあげる。新注は、「郷は鄙俗の意」、いなか者的であること、「原」は「愿」と通じ、くそ正直の意とするが、結論にあまり差異はなく、要するに俗人の信用を得やすい地域的な偽君子であって、さきの子路第十三に、「子貢問うて曰わく、郷人皆な之れを好む、如何。子曰わく、未まだ可ならざる也」という底の人物である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 というわけで、どうも孔子の批判から意味をさかのぼらせているような気がしないでもありません。

 この句と郷人皆で。


 孟子の解説。

巻第十四 尽心章句下

三七

(万章曰く)孔子は我が門を過ぎて我が家に入らざるも、我憾みざる者は其れ惟郷原か。郷原は徳の賊なりと曰まえり。曰う、何如なれば斯ち之を郷原と謂うべき。(曰く、)斯の世に生まれては斯の世(の為す所)を為さんのみ。善(嘉よみ)せらるれば斯ち可なりと(曰いて)、閹然として世に媚ぶる者は、是れ郷原なり。万子(万章)曰く、一郷皆原人と称し、往(行おこ)なう所として原人たらざるなきに、孔子以て徳の賊となせるは、何ぞや。曰く、之を非(そし)らんとするも挙(言い)うべきなく、之を刺(そし)らんとするも刺るべきなし。流俗に同じくし汙世(おせい)に合わせ、之に居ること忠信に似、之を行うこと廉契(廉潔)に似たり。衆皆之を悦び、自らは以て是となさんも、而も与(以もっ)て堯・舜の道に入るべからず。故に徳の賊と曰うなり。孔子曰く、似て非なる者を悪む。莠を悪むはその苗を乱るを恐るればなり。(便)佞(くちさときひと)を悪むはその義を乱るを恐るればなり。利口(ことばたくみなるひと)を悪むはその信を乱るを恐るればなり。鄭声を悪むはその(雅)楽を乱るを恐るればなり。紫を悪むはその朱を乱るを恐るればなり。郷原を悪むはその徳を乱るを恐るればなり。君子は経(つねのみち)に反るのみ。経正(治おさ)まれば則ち庶民興る。庶民興れば斯(則すなわ)ち邪慝(邪悪)なし。

小林勝人『孟子』(下) 岩波文庫

巻第十四 尽心章句下

三七

(万章がまた改めてたずねた)。「孔子の言葉に『私の家の門前を通りながら、私の家に寄ってくれなくとも、少しも残念に思わないのは、郷原(村の君子)だけであろうか。郷原こそは正しい徳を賊(そこ)なう村の偽善者(くわせもの)だからだ』とありますので、おたずねしますが、いったい、どんな人物ならば、郷原といってよいのでしょうか。」(孟子はこたえられた)。「彼らは『この世に生まれたら、この世の人らしく暮らし、世間の人から評判さえよければ、それで結構(よい)ではないか』といって、自分の本心を掩いかくしてひたすら世間にこびへつらう者、それがつまり郷原なのだ。」万章がなおもたずねた。「村中の人がみな謹直な人だと評判しており、また何を行っても慎しみ深く素直な人柄なのに、孔子が『徳の賊だ』と非難されたのは、なぜなのでしょうか。」孟子はこたえられた。「(この連中は偽善者ではあるが、表面(うわべ)をつくることが上手で)非難しようにもとりあげて言うほどの欠点もなく、攻撃しようにも攻撃するほどの材料が見つからない。そして世間並みの人と違ったところもなく、汚れた世の中と調子を合わせ、いかにも忠信の人らしく身を処し、廉潔の士らしく事を振舞うので、世間の人たちもみな好意をもち、自分でもまたそれでよいつもりでいるが、しかし、とうてい堯舜の道には入ることのできぬ人間たちである。だkらこそ、孔子も彼らを『徳の賊だ』といわれたのである。孔子はまた『似てはいるが、真物(ほんもの)とはちがう贋物(まがいもの)をにくむ。たとえば、莠(はぐさ)をにくむのは、穀物の苗にまぎらわしいからであり、口先の上手な者をにくむのは、その言葉が義にまぎらわしいからであり、利口をにくむのは、信実にまぎらわしいからであり、みだらな鄭の国の音楽をにくむのは、正統な雅楽にまぎらわしいからであり、紫(のような間色)をにくむのは、(正色である)朱にまぎらわしいからである。それと同じく、世に媚びる郷原をにくむのは、真の徳ある人にまぎらわしいからおそれるのである』といわれた。およそ、君子たるものは、ただひたすら万世不易の常道に立ちかえるばかりである。(どうして世俗に媚びおもねることがあろうか)。この常道さえ正しく行われたなら、庶民は必ずこれに奮い起ち、庶民がいっせいに奮い起てば、郷原のような邪悪な者は必ず影をひそめてしまうものだ。」

小林勝人『孟子』(下) 岩波文庫