蜀犬 日に吠ゆ

2010-05-16

[][][][]陽貨第十七を読む(その11) 19:12 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

紫の朱を奪うを悪む

 陽貨第十七(435~460)

452 子曰。悪紫之奪朱也。悪鄭声之乱雅楽也。悪利口之覆邦家者。

(訓)子曰く、紫の朱を奪うを悪む。鄭声の雅楽を乱すを悪む。利口の邦家を覆す者を悪む。

(新)子曰く、紫が朱だと思われて通っていることがあるから警戒せよ。鄭国の淫らな俗曲が、礼式に用いる雅楽の中に混じりこんでいることがある。口達者な人間が国家を滅ぼしかけながら忠信らしく振舞っていることもあるぞ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 まがいものを憎む。という点で郷原は徳の賊と共通する、と孟子が解説しております。


 孟子の解説。

巻第十四 尽心章句下

三七

(万章曰く)孔子は我が門を過ぎて我が家に入らざるも、我憾みざる者は其れ惟郷原か。郷原は徳の賊なりと曰まえり。曰う、何如なれば斯ち之を郷原と謂うべき。(曰く、)斯の世に生まれては斯の世(の為す所)を為さんのみ。善(嘉よみ)せらるれば斯ち可なりと(曰いて)、閹然として世に媚ぶる者は、是れ郷原なり。万子(万章)曰く、一郷皆原人と称し、往(行おこ)なう所として原人たらざるなきに、孔子以て徳の賊となせるは、何ぞや。曰く、之を非(そし)らんとするも挙(言い)うべきなく、之を刺(そし)らんとするも刺るべきなし。流俗に同じくし汙世(おせい)に合わせ、之に居ること忠信に似、之を行うこと廉契(廉潔)に似たり。衆皆之を悦び、自らは以て是となさんも、而も与(以もっ)て堯・舜の道に入るべからず。故に徳の賊と曰うなり。孔子曰く、似て非なる者を悪む。莠を悪むはその苗を乱るを恐るればなり。(便)佞(くちさときひと)を悪むはその義を乱るを恐るればなり。利口(ことばたくみなるひと)を悪むはその信を乱るを恐るればなり。鄭声を悪むはその(雅)楽を乱るを恐るればなり。紫を悪むはその朱を乱るを恐るればなり。郷原を悪むはその徳を乱るを恐るればなり。君子は経(つねのみち)に反るのみ。経正(治おさ)まれば則ち庶民興る。庶民興れば斯(則すなわ)ち邪慝(邪悪)なし。

小林勝人『孟子』(下) 岩波文庫

巻第十四 尽心章句下

三七

(万章がまた改めてたずねた)。「孔子の言葉に『私の家の門前を通りながら、私の家に寄ってくれなくとも、少しも残念に思わないのは、郷原(村の君子)だけであろうか。郷原こそは正しい徳を賊(そこ)なう村の偽善者(くわせもの)だからだ』とありますので、おたずねしますが、いったい、どんな人物ならば、郷原といってよいのでしょうか。」(孟子はこたえられた)。「彼らは『この世に生まれたら、この世の人らしく暮らし、世間の人から評判さえよければ、それで結構(よい)ではないか』といって、自分の本心を掩いかくしてひたすら世間にこびへつらう者、それがつまり郷原なのだ。」万章がなおもたずねた。「村中の人がみな謹直な人だと評判しており、また何を行っても慎しみ深く素直な人柄なのに、孔子が『徳の賊だ』と非難されたのは、なぜなのでしょうか。」孟子はこたえられた。「(この連中は偽善者ではあるが、表面(うわべ)をつくることが上手で)非難しようにもとりあげて言うほどの欠点もなく、攻撃しようにも攻撃するほどの材料が見つからない。そして世間並みの人と違ったところもなく、汚れた世の中と調子を合わせ、いかにも忠信の人らしく身を処し、廉潔の士らしく事を振舞うので、世間の人たちもみな好意をもち、自分でもまたそれでよいつもりでいるが、しかし、とうてい堯舜の道には入ることのできぬ人間たちである。だkらこそ、孔子も彼らを『徳の賊だ』といわれたのである。孔子はまた『似てはいるが、真物(ほんもの)とはちがう贋物(まがいもの)をにくむ。たとえば、莠(はぐさ)をにくむのは、穀物の苗にまぎらわしいからであり、口先の上手な者をにくむのは、その言葉が義にまぎらわしいからであり、利口をにくむのは、信実にまぎらわしいからであり、みだらな鄭の国の音楽をにくむのは、正統な雅楽にまぎらわしいからであり、紫(のような間色)をにくむのは、(正色である)朱にまぎらわしいからである。それと同じく、世に媚びる郷原をにくむのは、真の徳ある人にまぎらわしいからおそれるのである』といわれた。およそ、君子たるものは、ただひたすら万世不易の常道に立ちかえるばかりである。(どうして世俗に媚びおもねることがあろうか)。この常道さえ正しく行われたなら、庶民は必ずこれに奮い起ち、庶民がいっせいに奮い起てば、郷原のような邪悪な者は必ず影をひそめてしまうものだ。」

小林勝人『孟子』(下) 岩波文庫

 吉川先生の解説。

 本ものとまぎらわしい偽ものこそ、憎悪さるべきであることを、教える。古注の孔安国の注に、「朱は正色、紫は間色の好き者」。また「鄭声」は、河南省鄭州を首都とする鄭のくにの音楽であるが、それは今日のジャズのごとく、さわがしいものであった。さきの衛霊公第十五に、「鄭声は淫」。それに対し「雅楽」は、古典音楽を意味する。「利口」の二字、諸注ともくわしい訓詁をあたえないが、口さきの達者さを意味するにちがいない。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 軽音楽=ジャズ、というあたりに時代が……


 正色と間色については、加地先生の解説。

五行(世界の五つの要素)の相勝説(相勝つ)に基づく色の配当がある。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 図を適宜改変して引き写します。ちなみに、相勝では土→水→火→金→木→土の順に勝ちます。

五行正色間色
 
  駵黄色(黄黒)
 
  紫色(黒赤)
朱(赤) 
  紅色(赤白)
 
  碧(白青)
 
  緑色(青黄)