蜀犬 日に吠ゆ

2010-05-17

[][][][]陽貨第十七を読む(その12) 20:09 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

予れは言うこと無からんと欲す

 陽貨第十七(435~460)

453 子曰。予欲無言。子貢曰。子如不言。則小子何述焉。子曰。天何言哉。四時行焉。百物生焉。天何言哉。

(訓)子曰く、予れは言うこと無からんと欲す。子貢曰く、子もし言わずんば、小子何をか述べん。子曰く、天何をか言わんや。四時行われ、百物生ず。天何をか言わんや。

(新)子曰く、私はもう物を言うまいかな。子貢曰く、先生が物を仰らねば、私どもは何と言って弟子たちに取次ぎましょうか。子曰く、天を見たまえ、何も言わぬ。それでいて、四時は滞りなく運行するし、万物はちゃんと生育している。天は何も物言わぬではないか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子学園の生活において、先輩の弟子は後輩の弟子を指導すること、日本の江戸時代における塾生活のごときものがあったと思われる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ほんとうかなあ。子路は政事や人事にあけくれ、顔回は若手の指導もしなそうです。子貢とか、若い子張とかそういうメンバーは限られていたでしょうと妄想。ですから、先輩が後輩を指導するのは、そういうシステムはなくて、各々の適性や力量に任されていたのではないでしょうか。

 あるいは、「述べて作らず」のように歴史編纂の指導をしてくださらなければ、『春秋』の編集作業が進みません、という風に解釈するなら、子貢が格さんだったということになるかもしれません。そうして、孔子は本来「北辰」のようになりたかったのに、手取り足取り教えてあげねばならない弟子たちを見て、そして老い先長くない自分の衰えを見て、つい悲観的なセリフを呟いてしまったのかもしれません。