蜀犬 日に吠ゆ

2010-05-23

[]白鯨に勝てない男~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS(その15) 20:57 はてなブックマーク - 白鯨に勝てない男~~『世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者』ATLUS(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

 あんまりこんなことはしたくないのですが、全滅の回数がかさんでくるとつい、攻略wiki にアクセスしてしまうのです。

初回撃破の目標レベルは25前後。

世界樹の迷宮3 wiki-ボス攻略

 だがちょっと待ってほしい。私の、(愛しいプリンセスの)タヴィアなんて、レベル41ですよ? 他の錚々たる面々もいるのに、どうしてそんなに……

防御面では「予防の号令」と「リセットウェポン」を覚えたプリンセスや、

「ラインヒール」および、Lv4以上の「バインドリカバリ」「リフレッシュ」を覚えたモンクが居れば助かる。

特に「予防の号令」はあるとないとで難易度が激変すると言っていい。

「バインドリカバリ」「リフレッシュ」は、Lv4で列対象、Lv7で全体対象になり便利さが格段に増す。

攻撃面では「特異点定理」と「エーテル圧縮」を覚えたゾディアックが居れば楽。

回避率上昇を無視しつつ「エーテル圧縮→火の星術」だけでも300~400ダメージが出せる上に、

更に大航海を進めてリミットスキル「業火」を入手しておけば、

今後も役に立つ「同一ターンに属性リミット+エーテル圧縮」コンボで、ごっそりHPを削れる。

世界樹の迷宮3 wiki-ボス攻略

お勧めスキル・アイテム

* 炎属性スキル、業火

* リセットウェポン

* 百中ゴーグル

* リフレッシュ、バインドリカバリ、予防の号令、テリアカα・β

世界樹の迷宮3 wiki-ボス攻略

 「業火」ってなんじゃい? とか思って調べたらリミットスキルか……そういえばリミットゲージを気にしたことすらありませんでした。ありえない適当さ加減。大航海も全然出かけてない(商業港アユタヤで「煉獄の禁書」を手に入れると「業火」が使えるらしい)。

 あと、「予防の命令」は完全に成長させていなかったスキルなので、「休養」でスキルポイントを振り直すか新しいプリンセスを投入するか、どうしましょう。

世界樹の迷宮III 星海の来訪者(特典なし)

世界樹の迷宮III 星海の来訪者(特典なし)


[][][]古今和歌集を読む 仮名序(その6) 15:35 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 仮名序(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

 古今集仮名序

仮名序

 かゝるに、今、天皇(すべらぎ)の天下知ろしめすこと、四時こゝのかへりになんなりぬる。あまねき御慈愛の波、八洲のほかまで流れ、ひろき御恵みのかげ、筑波山の麓よりもしげくおはしまして、万の政務をきこしめすいとま、もろもろの事を捨てたまはぬあまりに、「いにしへの事をも忘れじ、古りにし事をも興したまふ」とて、「今もみそなはし、後の世にも伝はれ」とて、延喜五年四月十八日に、大内記紀友則、御書の所の預り紀貫之、前の甲斐の少目(さうくわん)凡河内躬恒、右衛門の府壬生忠岑らに仰せられて、万葉集に入らぬ古き歌、自らのをもたてまつらしめたまひてなん。それが中に、梅をかざすうより始めて、ほとゝぎすを聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、又、鶴亀につけて君を思ひ人をも祝ひ、秋萩夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山にいたりて手向けを折り、あるは、春夏秋冬にも入らぬ種々の歌をなん、えらばせたまひける。すべて千歌(ちうた)二十巻(はたまき)、名づけて『古今和歌集』といふ。かく、この度集めえらばれて、山下水の絶えず、浜の真砂の数多く積りぬれば、今は、飛鳥川の瀬になる恨みもきこえずう、さゞれ石の巌となる喜びのみぞあるべき。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

[][][]關雎 14:48 はてなブックマーク - 關雎 - 蜀犬 日に吠ゆ

 「周南を読まないと頭がつかえたままじゃよ」と孔夫子が言うので読みます。

關雎(みやこどり)

1

關關雎鳩 kiu

在河之洲 tjiu

窈窕淑女

君子好逑 giu


關々(くわんくわん)たる雎鳩(しょきう)は

河(かは)の洲に在り

窈窕(えうてう)たる淑女は

君子の好逑(かうきう)


かうかうと みやこどり

かはのなかすに

たをやかの かのひとは

よきひとのつま


2

參差荇菜

左右流之 liu

窈窕淑女

寤寐求之 giu


參差(しんし)たる荇菜(かうさい)は

左右にこれを流(と)る

窈窕たる淑女は

寤寐(ごび)にこれを求む


おひいづる じゆんさいを

みぎひだり かきてとる

たをやかの かのひとは

よすがらに もとめつつ


3

求之不得 tek

寤寐思服 biuek

悠哉悠哉

輾轉反側 tzhiek


これを求めてこれを得ざれば

寤寐に思服す

悠なるかな悠なるかな

輾轉反側す


もとめつつ あひえねば

よすがらに ものおもふ

おもひつつ わびしくて

いねがてに ふしまろぶ


4

參差荇菜

左右采之 tse

窈窕淑女

琴瑟友之 hiue


參差たる荇菜は

左右にこれを采る

窈窕たる淑女は

琴瑟これを友(した)しむ


おひいづる じゆんさいを

みぎひだり つみてとる

たをやかの かのひとは

ことかなで したしまむ


5

參差荇菜

左右芼之 mo

窈窕淑女

鐘鼓樂之 lok


參差たる荇菜は

左右にこれを芼(えら)ぶ

窈窕たる淑女は

鐘鼓これを樂しむ


おひいづる じゆんさいを

みぎひだり えらびとる

たをやかの かのひとは

かねうちて たのしまむ

白川静『詩経国風』東洋文庫
詩経国風 (東洋文庫)

詩経国風 (東洋文庫)



[][][][]微子第十八を読む(その2) 11:34 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

柳下恵は士師と為り三たび黜けらる

 微子第十八(461~471)

462 柳下恵為士師。三黜。人曰。子未可以去乎。曰。直道而事人。焉往而不三黜。枉道而事人。何必去父母之邦。

(訓)柳下恵は士師と為り、三たび黜(しりぞ)けらる。人曰く、子は未だ以て去るべからざるか。曰く、直道もて人に事えば、焉んぞ往くとして三たび黜けられざらんや。枉道もて人に事えば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。

(新)柳下恵は裁判官に任命されたが、罷免され、同じことを三度繰りかえした。ある人が言った。こんなことなら他国へ行って仕えた方がよくはありませんか。曰く、正しい主義を曲げないで宮仕えすれば、どの国へ往っても免職を繰りかえすことは同じでしょう。主義を曲げて仕えるつもりなら、どこの国に仕えても勤まります。折角生れついた父母の邦を去って、どこへ行けばいい所があるというのでしょうか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 柳下恵が、その実力を認められず裁判官に追いやられたり、何度も馘首されるのは臧文仲の陰謀なんですけどね。そういう政治的駆け引きには応じないひとであり、孔子が尊敬したのもそういう部分なのでしょう。おのれの立場よりも職責を優先させ、罷免されても慌てず、呼び出されればまた忌憚なく宮仕えする、史魚や蘧伯玉のもっていた「直」を、柳下子ももっていたということでしょう。


斉の景公孔子を待つ

 微子第十八(461~471)

463 斉景公待孔子曰。若季氏。則吾不能。以季孟之間待之。曰。吾老矣。不能用也。孔子行。

(訓)斉の景公、孔子を待つに曰く、季氏の若くするは、吾れ能くせず。季・孟の間を以てこれを待たん。曰く、吾れ老いたり。用うる能わざるなり、と。孔子行(さ)る。

(新)斉の景公が孔子の待遇について言った。魯の季氏が来たと同じ待遇を与えることは、私としてはできない。(ある人が言った。)それでは季氏と孟氏との中間の待遇を与えてはどうでしょうか。曰く、私ももう年寄りだ。孔子のような新人を登用して働かせることは無理なことだ。これを聞いて孔子は斉から立去った。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子略年表で言う所の、孔子36~43歳の斉国滞在時期のことでありましょう。

 程子は「孔子が斉を去ったのは待遇の軽重によるのではなくて、ただ用いられないから去ったのである」と曰っている。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 孔子の政治生活における最初の挫折である。「史記」の「孔子世家」では、斉の賢者として聞こえた晏嬰が、孔子の任用を邪魔だてした、という。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 前章でも、己の立場にこだわらない柳下恵の話が取り上げられていますが、孔子もまた同じように、政治的な駆け引きの中で信念を枉げてまで就職するつもりはなかったのでしょう。


斉人、女楽を帰る

 微子第十八(461~471)

464 斉人帰女楽。季桓子受之。三日不朝。孔子行。

(訓)斉人、女楽を帰(おく)る。季桓子これを受け、三日朝せず。孔子行る。

(新)斉の国から魯の国へ、女子の音楽隊を贈ってきた。家老の季桓子がそれを受け、三日間、政治を見ることを怠った。孔子が見切りをつけて魯から立去った。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 まえの節から二十年弱のちの、魯の定公十四年、五十六歳の孔子は、祖国魯の大司寇、すなわち司法担当の国務大臣として、一番家老の季桓子、すなわち季孫斯などっとともに、国政をとった。「史記」によれば、隣国の斉は、孔子によって魯の国政が振うのを嫉み、女歌舞伎八十人に、文れる馬三十駟(くみ)をそえたもの、といえばサーカスのようなものであろうが、それを魯におくって、魯の政治家たちを誘惑した。「帰」は「饋」と同じく、「おくる」と訓ずる。首相の季桓子はそれを受けとって、それに耽溺し、三日間、朝廷に出なかった。

 孔子は絶望し、魯の国を立ち去った。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 これだと季桓子が仕事をさぼった話になりますが、実際に朝するのは君主である定公です。この人がさぼったので孔子が絶望した、というのでなければ話の筋を通しにくい。

時に魯国の政は季桓氏が専らにしていたから、桓子は魯君に勧めてこれを受け、君臣共に楽しみに耽って政治を怠り、朝に出ないことが三日に及んだ。賢人を用いて女楽を受けるのは賢をあなどるのである。三日朝に出ないのは礼を棄てるのである。与に政を行うことのできないのを見て、孔子は遂に魯を去った。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 このとき、「仁を好む人はいないのか」、とか「已矣乎」とか呟いた可能性が高いと思います。


 中島敦は、文章上手い。

強国斉は、隣国(りんこく)の宰相としての孔子の存在に、あるいは孔子の施政(しせい)の下(もと)に充実して行く魯の国力に、懼(おそれ)を抱(いだ)き始めた。苦心の結果、誠にいかにも古代支那(しな)式な苦肉の策が採られた。すなわち、斉から魯へ贈(おく)るに、歌舞(かぶ)に長じた美女の一団をもってしたのである。こうして魯侯の心を蕩(とろ)かし定公と孔子との間を離間(りかん)しようとしたのだ。ところで、更に古代支那式なのは、この幼稚な策が、魯国内反孔子派の策動と相(あい)俟(ま)って、余りにも速く効を奏したことである。魯侯は女楽に耽(ふけ)ってもはや朝(ちょう)に出なくなった。季桓子(きかんし)以下の大官連もこれに倣(なら)い出す。子路は真先に憤慨(ふんがい)して衝突(しょうとつ)し、官を辞した。孔子は子路ほど早く見切をつけず、なお尽(つ)くせるだけの手段を尽くそうとする。子路は孔子に早く辞(や)めてもらいたくて仕方が無い。師が臣節を汚(けが)すのを懼れるのではなく、ただこの淫(みだ)らな雰囲気(ふんいき)の中に師を置いて眺(なが)めるのが堪(たま)らないのである。

 孔子の粘(ねば)り強さもついに諦めねばならなくなった時、子路はほっとした。そうして、師に従って欣(よろこ)んで魯の国を立退(たちの)いた。

 作曲家でもあり作詞家でもあった孔子は、次第に遠離(とおざか)り行く都城を顧(かえり)みながら、歌う。

 かの美婦の口には君子ももって出走すべし。かの美婦の謁(えつ)には君子ももって死敗すべし。…………

 かくて、爾後(じご)永年に亘(わた)る孔子の遍歴(へんれき)が始まる。

中島敦『弟子』青空文庫

 『弟子』ですと、定公が率先して女楽に耽り、季桓子以下があとから続いたかのような脚色演出が為されていますが、論語の記述から言うとそうでもなさそうですね。まあだれが先でもどうでもいいといえばいいのですが。