蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-01

[][][]古今和歌集を読む 春歌上(その2) 20:54 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 春歌上(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

春歌上

春たちける日によめる   紀貫之

2 袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

2 一二袖がぬれるという状態で、手にすくった水。夏のある日の山の井などの回想。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

四五 立春の今日の風がとかしているだろうか。多分そうしているだろう、と考えて言う。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 さっぱり意味が分かりません。立春の風は湿気を含んでいるのでしょうか? そして去年の夏の井戸の水がそこに含まれていると、どうしてそう思うのでしょう。

 まあ、「日本人は古来よりそう考えてきた」ということなのでしょうし、それを学ぶために古今集など読んでいるわけですから、現代的な感覚での批判は以後控えたいとは思います。



[][][]葛覃(葛延びて)『周南』を読む(その3) 20:32 はてなブックマーク - 葛覃(葛延びて)『周南』を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

 周南、第三歌。

卷耳(みみ菜草)

1

采采卷耳

不盈頃筐 khiuang

嗟我懐人

寘彼周行 heang


卷耳を采り采るも

頃筐に盈(み)たず

嗟(ああ) 我人を懐(おも)うて

彼の周行に寘(お)く


みみ菜草 摘み摘むも

かたまにも盈たずけり

かのひとを 思ひなづみて

道の邊に そをおきにけり


2

陟彼崔嵬 nguei

我馬虺隤 duei

我姑酌彼金罍 luei

維以永懐 hoei


彼の崔嵬に陟(のぼ)れば

我が馬 虺隤(くわいたい)たり

我姑(しばら)く彼の金罍(らい)に酌みて

ここを以て永く懐はざらん


岩山に のぼらへば

わが馬は 色あせぬ

いささかに 酒酌みて

いとしばし 思ひ忘れむ


3

陟彼高岡 kang

我馬玄黄 huang

我姑酌彼兕觥 koang

維以不永傷 sjiang


彼の高岡に陟れば

我が馬 玄黄たり

我姑く彼の兕觥(じくわう)に酌みて

ここを以て永く傷まざらん


高山に のぼらへば

わが馬は 色失せぬ

いささかに 酒酌みて

いとしばし やすらはむ


4

陟彼砠矣 tsia

我馬瘏矣 da

我僕痡矣 phiua

云何吁矣 xiua


彼の砠(やまそば)に陟れば

我が馬瘏(や)みぬ

我が僕痡(や)みぬ

ああ何ぞ吁(うれ)はしき


岩山に のぼりたり

わが馬は なやみたり

わたしもべ たゆたひぬ

なぞかくも うれはしき

白川静『詩経国風』東洋文庫

 坊ちゃんの失恋旅行につき合わされる馬と僕が可哀想。とか思ったら、恋愛成就の願掛けが主題である由。

主題

 登高望郷の歌。1の草摘みは、魂振りの民俗を歌う。魂振りとしての草摘みの歌は、日を限り、場所を定め、神と約束をして、そのかねごとを成就したときに、願い事は成就されるとした。

白川静『詩経国風』東洋文庫

 白川先生の説明にもありますが、これは日本にもあった習俗であるそうです。たとえば百人一首の「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪はふりつつ」とか(白川先生の引用は万葉集ですけど)。

 で、2以下は登高望郷であるそうで、別に失恋とかそういうわけではないようです。1での思い人がすなわち妻であり、山から見わたして、故郷の家を思うと。

詩経国風 (東洋文庫)

詩経国風 (東洋文庫)


[][][][]微子第十八を読む(その8) 19:38 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

周公、魯公に謂いて曰く

 微子第十八(461~471)

470 周公謂魯公曰。君子不施其親。不使大臣怨乎不以。故旧無大故。則不棄也。無求備於一人。

(訓)周公、魯公に謂いて曰く、君子は其の親を施(す)てず。大臣をして以(もち)いられざるを怨ましめず。故旧は大故なければ棄てざるなり。備わるを一人に求むることなかれ。

(新)周公がその子、魯公伯禽の赴任を前に訓戒した。お前は親族の者を無視してはならない。大臣たちに意見が用いられないという不満を起させてはならぬ。前から因縁ある者はよほどの理由がない限り、見棄ててはならぬ。ただ一人の人間に何もかも要求してはならない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 確かに、一人の人間にあれもこれもと要求するハードルが高いと、その人を潰してしまいますよねえ。



周に八士あり

 微子第十八(461~471)

471 周有八士。伯達。伯适。仲突。仲忽。叔夜。叔夏。季随。季騧。

(訓)周に八士あり。伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季騧。

(新)周の一族に八人の立派な人がいた。その名は云云。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「その名は云云。」宮崎先生、手抜きですか?

 これも孔子の歴史の講義の一節であろうが、筆記者がその説明を書き漏らした。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ははは筆記されていたものが、論語編纂の時代には散逸してしまっていたた可能性もありますよ。根拠のない憶測ですが。宮崎先生はなにか根拠をお持ちなら、書いておいてもらいたかったです。



 以上で、学問を志すものが尊ぶ『論語』下論、多く聖賢の出処(仕えると仕えざると)を記し、すべて十一章ある「陽貨第十八」はおわる。