蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-02

[][][]古今和歌集を読む 春歌上(その3) 20:54 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 春歌上(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

春歌上

題しらず   よみ人しらず

3 春霞たてるやいづこ み吉野の吉野の山に雪はふりつゝ

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 これは分かります。視点をだんだんと遠くにもってゆく歌いぶりですね。

3 一二霞が立っているのはどこだ。 五雪がふりふりして。一向春めいて来ない、という気持。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 「ふりふりして」というのは可笑しいけれど、「つゝ」の意を汲んで訳すために変な日本語になってしまうのでしょう。古典の解釈文にはよくあることであるわなあ。

 「立春だというのに雪が降って」云々というのは、星新一のエッセイで日本の報道の季節感はおかしい、「暦の上では秋だというのにこの暑さ」とかさんざっぱら悪態を吐いておいて涼しくなると一転「去りゆく夏を惜しむ」と転向する話がありましたが、古来よりの伝統芸なんですね。1「年の内に」もそうですが、人が決めたルールに言いがかりをつけるのが日本人の美意識、なのでしょう。小賢しいとはこのことです。

春歌上

二条のきさきの春のはじめの御うた

4 雪のうちに春はきにけり 鶯のこほれる涙いまやとくらん

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 またいいがかり系統? 「待花」に思いをはせる美意識は昔はなかったのかも知れません。鶯に心を巡らすも、まだ溶け始めたばかり、というぶんましな歌ではありますけれども。いや、まだましとかいっちゃいけないぜ。

4 二条のきさき―清和天皇の皇后。一雪のまだあるうちに。三四鶯でも、なけば涙が出るだろう。それが冬は凍っているだろう、と想像していう。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

春歌上

題しらず  読人しらず

5 梅がえにきゐる鶯 春かけて鳴けども いまだ雪ふりつゝ

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

5 一二梅の木の枝に来ている鶯。三四鳴き声に春をかけて、春だ春だというように鳴くけれども。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 初春ですから、雪の中。これは分かる。



[][][][]子張第十九を読む(その1) 19:54 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

士は危きを見ては命を致し

 子張第十九(472~496)

472 子張曰。士見危致命。見得思義。祭思敬。喪思哀。其可已矣。

(訓)子張曰く、士は危きを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。

(新)子張曰く、学徒たる者は、危険に際しては命を投げ出すべきや否やを思い、利益ある時は取るべきか否かを思い、祭の際は敬虔の情を捧げんと思い、喪に臨んでは哀を尽くさんことを思う。それができれば及第だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子であれば「君子…」で語ることでありましょうに、子張は「士…」とのたまう。使い分けはよく分かりません。士は大夫の下で官吏になる者のことですから、公務員としての気構え、という位の言葉なのかも知れません。

 仕事で危険なこともしなければならない時、「命」はいのちなのか命令なのか分かりませんがきちんと果たしてみせる。仕事の余得は取らない。祭礼に参加する時はふざけない、はしゃがない。葬礼ではまごころから悔やむ。これは最低限必要とされる資質なのでしょう。


士は危きを見ては命を致し

 子張第十九(472~496)

473 子張曰。執徳不弘。信道不篤。焉能為有。焉能為亡。

(訓)子張曰く、徳を執ること弘からず、道を信ずること篤からずんば、焉んぞ能く有りと為し、焉んぞ能く亡しと為さん。

(新)子張曰く、折角修養に志しながら視野が狭く、折角道を尊びながら信念が鞏固でなかったなら、いったいやる気があるのだろうか、ないのだろうか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「考え方は柔軟に、信念は鞏固に」ということですが、それこそ言うは易く行うは難しの典型ですよね。逆に「強情張るくせにいざというときはビビり」になりがちです。だからこそ子張は釘を刺しておくのでしょうけれども。