蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-10

[][][]古今和歌集を読む 春歌上(その6) 21:40 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 春歌上(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

春歌上

  雪のふりけるをよめる  きのつらゆき

9 霞たちこのめも春の雪ふれば 花なきさとも花ぞちりける

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

9 一~三春の雪が降ったところが。霞が立ち木の芽もはる(ふくらむ)ところの春、という気持でいう。 五雪を花と見立てた。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 そもそも、もう私の住む関東平野なんて冬でも、雪が積もるほど降らないのでこういう風景を日本の四季の中に位置づけるのはむずかしい。905年ころって、もう地球寒冷期に入っていたのかもしれませんが、寒かったのですね。

 だからむしろ、初春の雪どうこうではなくて、「見立ての美学」といったものを学びとるつもりで読むべきなのでしょう。


春歌上

  春のはじめによめる  ふぢはらのことなほ 言直

10 春やとき 花やおそきと きゝわかん鶯だにも 鳴かずもあるかな

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

10 一二春の来かたが早いのか、花がおくれているのかと。 三四その声を聞いて判断しようと思う鶯さえも。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 しかしわがままな人ばかりですねえ。「春の始め」というのは立春頃、太陽暦2月ですよ。「立てば這え、這えば歩めの」こころは分からなくもないですがそんなこと公言するのは恥ずかしい、という感覚は平安時代にはなかったのでしょうねえ。

 だいたい、ここに集められた「暦の上は春なのに 雪ばかりだよ花ないよ」という歌たちは、「歌の様六つ」のどれに類せられるのかさえも分かりません。


春歌上

  春のはじめのうた  みぶのたゞみね

11 春きぬと人はいへども 鶯の鳴かぬかぎりは あらじとぞ思ふ

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

11 三四鶯が鳴かないうちは。 五違うだろうと思う。鶯の声で、春が来たかどうか決めようとする心。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 これは、正朔を下す天皇の権威を信じない…とかいう話ではなくて、「暦のことはともかく、おれは鶯で判断させてもらう」という独善的態度の歌ですね。こういう美意識の表現の方が、いいがかり的な歌たちよりもずっと分かりやすく、共感が持てます。


春歌上

  寛平の御時きさいの宮の歌合のうた  源まさずみ 当純 近院右大臣男

12 谷風にとくる氷のひまごとに打ち出づるなみや 春のはつ花

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

12 寛平―宇多天皇のみ代の年号。この歌合(うたあわせ)は、『平安朝歌合大成』で、歌合番号五。 一二谷を吹く風でとける氷。谷川にはった氷である。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 谷川も凍った時代なんですね。で、その川の波頭がくだけて泡立つさまを花と見たわけですか。……無理がないか?


[][][]ひと組みずつを読む(その1) 21:40 はてなブックマーク - ひと組みずつを読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

 ブッダ『真理のことば』岩波文庫 をよみます。スッタニパータはしばらく休みます。

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

かの尊師・真人・正しく覚った人に 敬礼したてまつる。

『真理のことば』

中村元『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫

第一章 ひと組みずつ

 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。――影がそのからだから離れないように。

 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。

 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。

中村元『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫

 スッタニッパータよりかは分かりやすい、というか仏教っぽい感じがしますね。

 最初の章「ひと組みずつ」は、2句ごとに対になっているから名づけられたということですが、誰が名づけるのか疑問。