蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-12

[][]まんがのかきかた~~石ノ森章太郎『マンガ家入門』秋田文庫 21:13 はてなブックマーク - まんがのかきかた~~石ノ森章太郎『マンガ家入門』秋田文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

石ノ森章太郎のマンガ家入門 (秋田文庫)

石ノ森章太郎のマンガ家入門 (秋田文庫)

 「まんがのかきかた」は、300頁ある文庫版で、見開き2ページのみ。しかし、もっと言うのなら漫画の描き方など5行で終わる。

  1. まず、精神を落ちつける。
  2. 構図をきめ、下がきをする。何度でも気にいった線が見つかるまで、かく。
ペンを入れる。

 これだけ。というか、「精神を落ちつける」は、省いても構わないと思います。個人的に。

 「何度でも」が10回なのか100回なのか1000回なのかの差はあれど、「気にいった線が見つかるまで、かく」。これがすべてで有るような気がします。


 ま、超名作であるにも関わらずいままで読んでいなかったので読みました。これに続く大量の類似品ですでにお腹いっぱいなので、さすが名作ですね。という感想。


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 漫画家の立場がどうのこうの、というのは日本の子受け孫受け体質が、業界として残っているからでしょう。たしか『編集王』で、漫画家とアシスタントの制作体制を「マニュファクチュア」と称していたシーンがありましたが、まあそういうものでしょう。


[][][][]子張第十九を読む(その11) 19:50 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

人未だ自ら致す者あらざるなり

 子張第十九(472~496)

488 曾子曰。吾聞諸君子。人未有自致者也。必也親喪乎。

(訓)曾子曰く、吾れはこれを夫子に聞く。人未だ自ら致す者あらざるなり。必ずや親の喪か、と。

(新)曾子曰く、私は先生に聞いたことがある。人間はなかなか自分の全力を出し尽くすということの出来ぬものだ。もしありとすれば、自分の親の葬式の場合だろう、と。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 とするなら孔夫子は、個人が全力を尽くすことが出来ないのは社会的要因に基づく、とお考えだったのでしょうか。親の葬式であれば、体面や外聞を気にすることなく感情を表出できますからね。

 これには、私は一部賛成、一部反対。私たちちっぽけな人間は、他にも多くの製薬の中で生きていると思います。たとえば、その日の体調が悪くて全力が出せない、とかね。

 しかし、吉川先生の解釈を読むに、私の誤読でした。

人間の行為のうち、自力だけで究極まで行けるものはない。必ず学問なり教養の助けを借りて、はじめて究極まで行ける。「致」はやはり究極の意。

 しかしこの原則にはずれるものがある。ほかでもない、親の喪における態度である。自己の内心から湧き起こる悲哀、それのみによって究極の完全な態度に到達できる。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 なるほど。しかしそれだと、「そんなことは禽獣にでもできる」という解釈になってしまい、一つの理窟ではありますが儒教の原理原則からははずれる解釈にもつながりかねませんかね。