蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-18

[][][][]子張第十九を読む(その18) 18:40 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その18) - 蜀犬 日に吠ゆ

仲尼は日月なり。得て踰ゆるなし

 子張第十九(472~496)

495 叔孫武叔。毀仲尼。子貢曰。無以為也。仲尼不可毀也。他人之賢者。丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絶。其何傷於日月乎。多見其不知量也。

(訓)叔孫武叔、仲尼を毀(そし)る。子貢曰く、以て為すなきなり。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり。猶お踰(こ)ゆべきなり。仲尼は日月なり。得て踰ゆるなし。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月において傷(やぶ)らんや。多(まさ)に量の知らざるを見すのみ。

(新)魯の叔孫武叔が孔子を悪しざまに言った。子貢曰く、それは全く無用だ。孔子には悪口が通用しないのだ。世間で賢者といわれている人は、いわば小山のようなもので、歩いて乗りこえることができる。ところが孔子の高さは天上の日月のようなものだ。そこまで上って行く手段がない。さればと言って無視しようとしても、無視された方の日月は平然としていてびくともしない。かえって無視しようとした方が、身の程知らずであったことを暴露するにすぎない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子服景伯から「宮牆の譬え」を聞かされても、叔孫武叔は納得しません。「子貢先生はそうおっしゃるが、あんな孔丘なんてたいしたことないやい」とかなんとか。そこで子貢が出向いて話した話(なのだと思います)。「丘は孔夫子以外の、いわゆる一山いくらの御用学者にこそ譬えられるべきであり、夫子を語るのは日月を語るようなものです」と。魯の大夫だとか言ってみても、日月などからすればほんのちっぽけな存在でしかないですからね。

 夫子リスペクトの子貢に言い合いで勝てるはずもなく、叔孫武叔、二敗。