蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-21

[][][][]堯曰第二十を読む(その1) 21:20 はてなブックマーク - 堯曰第二十を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

堯は曰く、咨、爾舜。天の暦数、爾の躬にあり

 堯曰第二十(497~499)

497 堯曰。咨爾舜。天之暦数在爾躬。允執其中。四海困窮。天禄永終。舜亦以命禹。曰。予小子履。敢用玄牡。敢昭告于皇皇后帝。有罪不敢赦。帝臣不蔽。簡在帝心。朕躬有罪。無以万方。万方有罪。罪在朕躬。周有大賓。善人是富。雖有周親。不如仁人。百姓有過。在予一人。謹権量。審法度。修廃官。四方之政行焉。興滅国。継絶世。挙逸民。天下之民帰心焉。所重民。食。喪。祭。寛則得衆。信則民任焉。敏則有功。(公)恵則説。

(訓)堯は曰く、咨(ああ)、爾舜。天の暦数、爾の躬にあり。允(まこと)に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終らん、と。舜も亦た以て禹に命ず。(湯は)曰く、予(われ)小子履、敢て玄牡(げんほ)を用いて、敢て昭(あき)らかに、皇皇たる后帝に告ぐ。罪あるは敢て赦さず。帝臣蔽わず。簡(えら)ぶこと帝の心にあり。朕が躬に罪あらば、万方を以てするなかれ。万方に罪あらば、罪は朕が躬にあり、と。周に大いなる賓(たまもの)あり。善人に是れ富めり。周親ありと雖も、仁人に如かず。百姓過ちあらば、予一人にあり。権量を謹み、法度を審(つまびら)かにし、廃れたる官を修め、四方の政行わる。滅びたる国を興し、絶えたる世を継ぎ、逸民を挙げ、天下の民、心を帰せり。民に重んずる所は食、喪、祭なり。寛なれば衆を得、信あれば民任ず。敏なれば功あり、(公)恵あれば説ぶ。

(新)堯は舜に言った。これ親愛なる舜よ。天が放った運命の矢はおん身に定ったぞよ。お前は宇宙の原則をしかと手に握って離すな。天下の人民が困窮するようなことが起れば、天の賜った幸福はそのまま立ち去って再び返って来ぬぞよ、と。その舜もまた同じように禹に命じた。(こんどは殷の湯王は)曰く、我、不束者の履は決意して黒牛を犠牲にして天を祀り、大胆にも天の皇皇たる主催者の后帝に物申す。罪人、夏の桀王は最早や許すことができませぬ。后帝の奴隷たる私は何も匿しだてをいたしませねば、凡ては帝の御心で定まります。もし私の身に罪がありましても、それは庶民に関わりのないことであります。もし庶民に罪がありましたならば、それは私自身の責任であります、と。周の代が大いに栄えたのは、善人が多かったからである。(武王曰く)周(したし)き親類よりも、仁人の方が信頼できる。百姓に過ちがあれば、それは私一人の責任である、と。そこで度量衡の制度を厳密に定め、法律を明確にし、福祉のための官を再興し、人民のための政治が成績をあげた。滅びた国を復興し、祀りの絶えた家に相続者を定め、隠れた賢者を捜して登用したので、天下之人民が明るい希望を持つようになった。その政治の原理は人民に必要なことは食物、葬式、追善であることを知って不自由させぬにある。また寛容なれば大衆がつき従い、信用を守れば人民が依頼し、骨惜しみをせねば能率が上り、恩恵があれば不満がないことを知って政治を行ったのであった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 金谷先生はこれを三句に区切り、吉川先生は(長いので便宜的に)二句に分けます。それぞれ典拠がありませんが、確かに宮崎先生のようにつなげて読むと長いですよね。

 禅譲の際は、この文句を告げるのでしょうか。

 下論の最終章は、上論最終章の郷党第十よりさらに難解で、成立も後世ではないかと考えられています。郷党第十の謎の章とは最終章雉の臭いを三度嗅ぐ話のことと思われます。

何晏の「論語集解」の序によれば、「古論語」は、第二章以下を別の一篇とし、子張第二十一と題していたらしい。つまり前の子張第十九とあわせて、二つの子張篇があったことになる。そうしてその本の堯曰第二十は、今本の第一章だけであったことになる。

 いよいよ複雑怪奇であり、「論語」という書物が、整理され成立する最後の段階に於いて、二十というきちんとして篇数をそろえるため、雑多に書き加えられたのが、この篇であることを示しそうである。「荘子」の「天下」篇などのように、全書の後序、すなわち跋として書き加えられたという説なども、清の翟灝(てきこう)の「四書考異」その他にある。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 まことに、複雑怪奇。