蜀犬 日に吠ゆ

2010-08-05

[][]ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』創元SF文庫(その11) 21:34 はてなブックマーク - ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』創元SF文庫(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

 あーでも、この時代(ホーガンの1977)て、まだ「DNA解析」とか「地球科学」ってなかったのですねえ。

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男女併せて少なくとも十四人が識別されうる人体各部の断片が収拾されたのである。もちろん、どの遺体もチャーリーの保存状態とは比較にならないものだった。いずれも、文字通りばらばら死体であった。焼け焦げた宇宙服の残骸の中に炭化した骨が散乱していたのである。外見において地球人とまったく同じ姿であったのみならず、ルナリアンは自己に弱い点もまた地球人と変わりがなかった。結局この発見も新たな情報をもたらすものではなかったかに思われたが

ホーガン/池 央耿訳『星を継ぐもの』創元SF文庫

 「ヒトゲノム解析」が進む現代文明であれば、男女が識別でき、人体と確認できるくらいのサンプルが残っていれば十分DNA鑑定が可能と考えていますので、新たな情報どころか、宝の山だったのになあ。

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 地図の解析に当たっている者たちの誰一人、数学班が度量衡の換算表と考えている数表のことを知らされていなかった。

ホーガン/池 央耿訳『星を継ぐもの』創元SF文庫

 もちろんコードウェルの不手際なのでしょうが、地理学者が理系の数学物理学に所属することは測量学や天文学の歴史から見ても当然なのだと思っていました。日本では、地理が地政学におとしこまれて「東南アジアを侵略すれば石油が掘り放題だ」とかいううちに地誌学と結びついていったのですが、アメリカでもそういう風に地理の分野はあいまいだったのでしょうか。

 それはさておき本文。

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    • ハントは実務だけでなく各専門家のコーディネイトの仕事を任される。
    • タイコⅢで新たに十四人の人骨、金属製品とある種の構築物が発掘される。
      • 人骨から新しい情報はなかったが、腕環(リスト・ユニット)に電圧をかけてディスプレイにルナリアン文字を読みだすことに成功。
        • エレクトロニクスの専門家はこれを解析できるのではないか? その描写はないけどあとであるかも。
    • ハントは数学班に化学班と解剖学班の成果を総合して表面重力の計算をすることを促す。
    • ハントは別の小さなグループが数学班の度量衡計算のことを知らせる。
    • コールドウェルはUNSAがすでに木星の月に到達したことや、それを上回る計画が進行していることをハントに告げる。
      • ハントは<スペシャル・アサインメント・グループL>の総指揮官となる。
        • これもアメリカンドリームってやつですかね。

 うーむ。『星を継ぐもの』というタイトルとこれまでの展開で、だいたいネタは割れたような気もします。人類の文明は、そういうことだったのでしょうか。しかし、それはなぜそうなのか? 「星を継ぐもの」が地球人であることは分かりました。しかし、「星を継がせるもの」がいるのか? そして「星を継ぐもの」は「星を継がせるもの」になるのか? 私がこういう感想をいだくのは、「ホーガンを継ぐもの」に触れたことがあるからなのか、実は覚えてないだけで『星を継ぐもの』を読了していたのか? 謎は深まるばかりです。


[][][]古今和歌集を読む 夏歌(その1422:28 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 夏歌(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

夏歌

   さぶらひにて、をのこどもの酒たうべけるに、めし

   て「郭公まつうたよめ」とありければよめる   みつね


161 郭公こゑもきこえず 山彦は 外になく音(ね)をこたへやはせぬ

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

161 さぶらひ―殿上人たちの控の間。 ○をのこ―殿上人。 三~五山彦は、郭公が他の場所で鳴く声をここへ反響させないか。そうしてくれたらいいのに。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

 「ホトトギス待つ歌」ではなくて、「山彦待つ歌」になってしまっているではないですか。観光地にスピーカを仕込んでそれっぽい BGM 鳴らせばいいや、という気分ですかね。

 でも、そういうものですよね。ホトトギスの実体とか、そういうのを本当は求めているわけじゃないんですよね。「おれのために鳴く都合のいい鳥」の、その鳴き声しかほしくないんですよ。平安貴族は下衆だから。「声も、姿も、餌代も、いい部分も悪い部分も全部受けとめて、それでもホトトギスが好きだ!」とまでは、絶対に踏み込まない。

 自然とふれあうキャンプに出かけて排ガスだのポイ捨てだので環境を破壊する発想は、実は根深いんですね。

 しかし、日本の伝統の精粋とも言える古典に接してこんな感想しか持てない自分もだいぶおかしい。