蜀犬 日に吠ゆ

2010-08-24

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その2) 19:35 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

古の人は民と偕に楽しむ

梁惠王章句上 凡七章

孟子見梁惠王、王立於沼上、顧鴻鴈麋鹿曰、賢者亦樂此乎、孟子對曰、賢者而後樂此、不賢者雖有此不樂也、詩云、經始靈臺、經之營之、庶民攻之、不日成之、經始勿亟、庶民子來、王在靈囿、麀鹿攸伏、麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴、王在靈沼、於牣魚躍、文王以民力爲臺爲沼、而民歡樂之、謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼、樂其有麋鹿魚鼈、古之人與民偕樂、故能樂也、湯誓曰、時日害喪、予及女皆亡、民欲與之皆亡、雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 孟子梁の恵王に見ゆ。王沼(いけ)の上(ほとり)に立ち、鴻鴈麋鹿を顧みて曰く、賢者も亦此れを楽しむか。孟子対えて曰く、賢者にして後(能く)此れを楽しむ。不賢者は此れ有りと雖も楽しまざるなり。詩に云う、(文王)霊台を経始(けいし)す。之を経(はか、度)り之を営(なわば、縄張)り、庶民之を攻(おさ、治)め、日ならず(幾日も経ず)して之を成せり。経始亟(うなが、促)す勿きも、庶民子のごとく来れり。王霊囿に在り、麀鹿(ゆうろく)の伏す攸(ところ)。麀鹿濯濯たり。白鳥鶴鶴たり。王霊沼に在り、於(ここに)牣(み、満)ちて魚躍ると。文王民の力を以いて、台を為(おさ)め沼を為(つく)りて、民之を歓楽(よろこ)び、其の台を謂(なづけ)て霊台と曰い、其の沼を謂て霊沼と曰いて、その麋鹿魚鼈有るを楽しめり。古の人は民と偕に楽しむ。故に能く楽しめるなり。湯誓に(民・桀王を日に比して)曰く、時(こ)の日害(いつ)か喪(ほろ)ぶる、予女と皆に亡びんと。民之と皆に亡びんと欲せば、台池鳥獣ありと雖も、豈能く独り楽しまんや。


 孟子が梁の恵王にお目にかかった。王様はちょうど広いお庭の池のほとりに立たれ、大雁や小雁や大鹿や小鹿などを眺めながらいわれた。「賢者も(わしたちのように)こうしたものを見て楽しむのだろうか。」孟子はお答えしていわれた。「賢者であってこそ、はじめてこれらのものが楽しめるのです。賢者でなくては、たとえあっても、とても楽しむことはできません。だから、詩経にも、『文王が御殿をつくろうとして、見積ったり縄張りなどすると、おおぜいの人民がきそって工事をして、幾日もかからずに造りあげてしまった。武運王は(この工事は)決して急ぐには及ばぬといわれたのだが、人民たちは文王を親のように慕い、たくさん集まってきたから(忽ち出来あがったの)である。(御殿ばかりではなく、お庭も立派にできて、)文王がお庭にでてゆかれると、牝牡の鹿は楽しくあそび伏したまま、人がきてもいっこう驚かず、よく肥えふとって毛並みはつやつやしく、白鳥はその羽色(けいろ)まっ白である。文王がお池のほとりにのぞまれると、満々とたたえた水には、魚もみちみちてはねおどっている』といっておるうではございませんか。文王は人民の力で台や池をつくったのだが、人民は怨むどころか(その徳をほめたたえ)歓んで、「霊台(めでたいうてな)」「霊沼(めでたいいけ)」という名前までつけて、大鹿や小鹿・魚やすっぽんがいるうのをわがことのように楽しんだものです。それというのも、古の賢人は自分ひとりで楽しまないで、人民といっしょに楽しんだからこそ、本当に楽しめたのです。(書経の)湯誓篇に、(人民は夏の桀王を太陽になぞらえて『(ああ、苦しい。)この太陽はいったい、いつ亡びるのだろう。その時がくるなら、自分もいっしょに亡んだとてかまわない』といって呪ったとありますが、こんなに人民から『いっしょになら、この身を棄ててもかまわぬ』とまで怨まれるようになっては、いくら立派な台や池や鳥・獣があったとて、いつまでも自分ひとりで楽しんでなどおられましょうや。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 「君臣偕楽」の出典ですね。