蜀犬 日に吠ゆ

2010-08-25

[][][]古今和歌集を読む 秋歌上(その9) 21:25 はてなブックマーク - 古今和歌集を読む 秋歌上(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

秋歌上


192 さ夜なかと夜はふけぬらし かりが音の聞ける空に月わたる見ゆ

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

192 一今は真夜中というように。雁の声で見上げた空の月の様子から推定。 ○万葉集巻九、一七〇一の歌と同形。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

秋歌上

   これさだのみこの家の歌合によめる   大江千里


193 月みればちゞにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

193 題詞→一八九。 二あれこれと限りもなく。第四句の「ひとつ」と対照。 四五→一八五・一八六

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

秋歌上

      たゞみね


194 久方の月の桂も秋はなほもみぢすらばや てりまさるらむ

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

194 秋の月が他の季節よりも「てりまさる」のに対して、月の中の桂も、秋はやはり紅葉するからだろうか、と想像したもの。 一枕詞。

佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その3) 20:25 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

五十歩を以て百歩を笑わば、則ち何如

梁惠王章句上 凡七章

梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣、河内凶、則移其民於河東、移其粟河内、河東凶亦然、察鄰國之政、無如寡人之用心者、鄰國之民不加少、寡人之民不加多、何也、孟子對曰、王好戰、請以戰喩、塡然鼓之、兵刃旣接、棄甲曳兵而走、或百歩而後止、或五十歩而後止、以五十歩笑百歩、則何如、曰、不可、直不百歩耳、是亦走也、曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也、不違農時、穀不可勝食也、數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也、斧斤以時入山林、材木不可勝用也、穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也、養生喪死無憾、王道之始也、五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣、鷄豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣、百畝之田、勿奪其時、數口之家、可以無飢矣、謹庠序之教、申之以孝悌之義、頌白者不負戴於道路矣、七十者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者未之有也、狗彘食人而不知檢、塗有餓莩而不知發、人死、則曰非我也歳也、是何異於刺人而殺之、曰非我也兵也、王無罪歳、斯天下之民至焉、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 梁の恵王曰く、寡人の国(政)に於けるや、心を尽せるのみ。河内凶すれば、則ち其の民を河東に移し、其の粟(こめ)を河内に移す。河東凶するも亦然す。隣国の政を察るに、寡人の心を用うるに如く者なし。(然るに)隣国の民少なきを加えず。寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。孟子対えて曰く、王戦を好む、請う戦を以て喩えん。塡然として鼓うち、兵刃既に接(まじ)わるとき、甲を棄て兵を曳(す、擲)てて走(に)げ、或る(者)は百歩にして後止まり、或る(者)は五十歩にして後止まり、五十歩を以て百歩を笑わば、則ち何如。(王)曰く、不可なり、直百歩ならざりしのみ、是れ(五十歩の人)も亦走げたるなり。(孟子)曰く、王如し此れを知らば、則ち民の隣国より多からんことを望む無(勿)れ。(民を使うに)農事を違(うば、奪)わざれば、(五)穀勝(あ)げて食(くら)うべからず。數罟(さくこ)洿池(いけ)に入れざらしめば、魚鼈勝げて食うべからず。斧斤時を以て山林に入らしめば、材木勝げて用うべからず。穀と魚鼈と勝げて食うべからず、材木勝げて用うべからざる、是れ民をして生を養い死を喪(おく、送)りて憾(うらみ)なからしむるなり。生を養い死を喪して憾なから(しむ)るは、王道の始なり。五畝の宅、之に樹(う)うるに桑を以てせば、五十の者以て帛(きぬ)を衣るべし。鷄豚狗彘の畜、其の時を失うなくんば、七十の者以て肉を食うべし。百歩の田、其の時を奪う勿くんば、数口の家以て飢うるなかるべし。痒序(学校)の教えを謹み、之を申(ひきし、約)むるに孝悌の義を以てせば、頌白の者道路に負戴(にお)わず。七十の者帛を衣肉を食い、黎民(衆民)飢えず寒えず、然(如是)くにして王たらざる者は、未だこれ有らざるなり。狗彘人の食を食らえども、検(かいし、斂蔵(くらにおさ))むることを知らず、塗に餓莩(うえじにするもの)有れども、発(にぎわす、発振(くらをひらく))ことを知らずして、人死すれば、則ち我には非ず歳なりと曰うは、是れ何ぞ人を刺して之を殺し、我には非ず兵なりと曰うに異ならんや。王歳を罪するなくんば、斯ち天下の民至らん。


 梁の恵王がたずねられた。「わしは国の政治にはあらんかっぎりの苦心をしている。たとえば、河内の地方が饑饉のときには、(餓死者のでないように)移せるだけの人民を河東の地方に移して食べさせ、移せない老人や子どもや病人には食糧を運んでやる。河東の地方が饑饉のときにも、また同じようにしてやる。どうも隣国の政治を見るのに、そんなに人民のために苦心しているものは見当らぬ。それなのに隣国の人民がいっこうへりもせず、わしの人民がさっぱりふえもしないのは、いったい、どういうわけだろう。」孟子はお答えしていわれた。「王様は戦争がお好きでいらっしゃるから、ひとつ戦争でたとえて申してみましょう。ドンドンと進軍の陣太鼓がいさましく鳴りひびき、敵味方刀で斬りあいがはじまった(大事な)ときに、鎧を脱ぎすて(矛などの)武器まで投げすてて逃げだしたものがいました。百歩逃げたものもあれば、五十歩逃げてふみとどまったものもあります。五十歩しか逃げなかったものが、百歩逃げたものを、『この臆病者め』と笑ったら、いかがなものでございましょう。」(王はいわれた)「それはいかん。ただ百歩逃げなかっただけだ。逃げたことにはかわりはない。」(孟子はそこでいわれた)「王様、もしそれ(その道理)がお分りでしたら、隣国よりも人民のふえるのを望むわけにはいきますまい。すべて農繁期をさけて人民を使うようにすれば、穀物はとても食べきれないほどよくとれるものです。池や沼には目の細かい網を入れ(て幼魚を捕ったり)させなければ、魚やすっぽんの類はとても食べきれないほどよく繁殖するものです。秋と冬だけしか、斧や斤(まさかり)で木伐りをさせないように(季節を制限)すれば、材木はとても使いきれないほどよく繁茂するものです。かように穀物も魚やすっぽんも材木も使いきれないほど豊かになれば、人民の生活は安定して父母や妻子を養うにも、死者を弔うにも、なに一つ遺憾なくできるものです。これこそ王道政治の手始めなのです。(いま、私は王道政治と申しましたが、それにはまず第一に井田の法によって、一世帯ごとに百畝の田地と)五畝の宅地(とを、それぞれに分け与えてやって、その)まわりに桑を植えて養蚕をさせると、五十すぎの老人はふだんでも温かい絹物がきられます。また鶏、仔豚、食要件、牝豚などの家畜を飼わせて、子を孕んだり育てているときには殺さないようにさせると、七十すぎの老人は肉食ができます。(農家は一世帯ごとに百畝ずつの田地が分け与えられていますので、)農繁期に力役などを割り当てなければ、五六人の家族なら、まずひもじい目にはあいますまい。つぎには、学校での教育を重視して、とくに親への孝・目上への悌の道徳を徹底させれば、(若い者は老人を大切にして)白髪まじりの老人が路上で重い荷物などを頭に載せたり、背負わずともすむようになります。七十の老人たちが絹物をき、肉をたべ一般庶民が飢えも凍えもしない、(これこそ王道政治の仕上げとでも申すべきもので)、このような政治を行って遂に天下の王者とならなかったひとは、昔から今までにまだ一度もございません。

 ところが、今(王様)の政治は、ご自分の犬や豚には人間の食べものを鱈ふく食わせながら、これを米倉に収め貯えようともなさらない。路ばたに餓死者がころがっていても、米倉を開いて救おうともなさらない。人民が餓死しても、只いたずらに手を束(つか)ねて『わしの(政治の悪い)せいではない。凶作のせいでねえ』とすましていらっしゃるが、これは人を刺し殺しておきながら、『わしが殺したのじゃない。この刃物のせいだよ』と白白しくいうのと、なんの違いがありましょう。もし、王様が歳に罪をきせたりせず、ご自分の政治が悪いからだとハッキリ責任をご自覚なさいましたら、(隣国どころか)天下の人民は必ず王様の徳を慕って、お国にむらがり集ってくることでしょう。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 書き下し文のところで「痒序」とありますが、これは「庠序」の誤植でしょうね。原文ママとしておきます。

 有名な五十歩百歩。現代でも、「おれはこんなにがんばっているのに、結果がついて来ないのはおかしい。」とか言う人はいますよね。その程度の苦労だの努力は、普通です。