蜀犬 日に吠ゆ

2010-08-27

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その5) 19:39 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

仁者は敵なし

梁惠王章句上 凡七章

梁惠王曰、晉國天下莫强焉、叟之所知也、及寡人之身、東敗於齊、長子死焉、西失地於秦七百里、南辱於楚、寡人恥之、願比死者壹洒之、如之何則可、孟子對曰、地方百里而可以王、王如施仁政於民、省刑罰、薄稅斂、深耕易耨、壯者以暇日、脩其孝悌忠信、入以事其父兄、出以事其長上、可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣、彼奪其民時、使不得耕耨以養父母、父母凍餓、兄弟妻子離散、彼陷溺其民、王往而制之、夫誰與王敵、故仁者無敵、王請勿疑

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 梁の恵王曰く、晋国は天下焉(これ、是)より強き莫きこと、叟の知れる所なり、寡人の身に及び、東(ひがしのかた)斉に敗れて長子死し、西(にしのかた)地を秦に喪ううこと七百里、南楚に辱めらる、寡人之を恥ず、願わくは比死者(しするころまで)に壱たび之を洒がん、如之何せば則ち可ならん。孟子対えて曰く、地(とち)、方(しほう)百里ならんにも而ち以て王たるべし。王如し仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄くし、深く耕し易(と、疾)く耨(くさぎ)らしめ、壮者暇日を以て其の孝悌忠信を脩め、入りては以て其の父兄に事え、出でては以て其の長上に事えしめば、梃を制(ひっさ、掣)げて以て秦・楚の堅甲利兵を撻(う)たしむべし、彼(かれら)は其の民の時を奪い、耕耨(こうどう)しては以て其の父母を養うを得ざらしむれば、父母は凍餓し、兄弟妻子は離散すべし。(かくて)彼其の民を陥溺せしめんとき、王往きて之を征たば、夫れ誰か王と敵せん。故に(諺には)仁者は敵なしといえり。王請う疑うことなかれ。


 梁の恵王がいわれた。「先生もご存じの通り、わが晋の国は、以前は天下にならぶもののないほど強い国であった。ところが、わしの代になってから、まず東の方では斉に敗れて、太子の申は捕まって死んでしまうし、西の方では秦に領地を七百里も奪われ、そのうえ南の方では楚に敗戦の辱めをうけるという始末。わしは残念でならぬ。どうかわしの目の黒いうちに、ぜひ一度はこの恥をすすぎたい。さて、どうしたらよいものだろう。」孟子はお答えしていわれた。「たった百里四方の小国の君主でさえも、(政治次第で)天下の王者となることができます。(ましてや、この大国でならなおさらのこと。)王様がもし仁政を行って、刑罰を軽くし、税金の取り立てを少なくし、田地をば深く耕して草取りも早めにさせ、若者には農事のひまひまに孝悌忠信の徳を教えこみ、家庭ではよく父兄につかえ、社会ではよく目上につかえるようにさせたならば、一旦ことあるときには(武器などなくて)ただの棍棒だけでも、堅固な甲冑・鋭利な武器で身を固めた秦や楚の精鋭をもうちひしぐことができましょう。ところが、彼ら(敵国)はまったく正反対で、時を構わず(力役に軍事にと)人民をこき使い、濃厚に精をだして父母を養うこともできぬようにさせています。父母は飢え凍え、妻子兄弟はちりぢりばらばらです。いわば、彼らは人民を穴に突きおとし、水につけて溺れさすような虐政をつづけているのです。このとき王様がご征伐にゆかれたら、なんぴととて手向うものがありましょうや。諺にある『仁者に敵なし』とは、つまりこのことをいったものです。王様、どうか私の申すことをお疑いなさいますな。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 ここで、東のかた斉国に敗れ太子申が殺される、というのは孫臏の手柄。

〈東斉に敗れて長子焉に死す〉前三四一年に、魏の将軍龐涓が太子申を奉じて、孫臏が軍師となった斉の田忌の軍に馬陵で大敗し、涓は戦死し、太子申は虜となった。

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 あと、秦はこの頃商鞅の改革で上り調子。魏国ピンチ! なのでした。