蜀犬 日に吠ゆ

2010-10-06

[][][]三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社 22:23 はてなブックマーク - 三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 高島俊男先生大推薦の『大衆小説評判記』を読んでみたのですが、ほとんど理解できません。

むだ書き

心持よく読んでいるものを、何の彼のと知ったか振に出るでもあるまい。だが馬鹿にされているのをご存じないのかと思えば、人の事でも腹が立つ。まして臆面もないあの書き方、知らなさ加減を超越した大衆小説、昔はなかった批評家というものさえある今日この頃、あの出鱈目作者が空々しく大家の文豪のと云われて通用するのを、だアまって見ているお目出度さ、お目出度とは馬鹿の異称、書くのも馬鹿なら、読むのも馬鹿。大人気もなく腹を立つのは勿論馬鹿、あれも馬鹿なら、これも馬鹿、皆バカの義経、教経どんに追掛けられはしまいし、ても偖も大衆文芸評判記などと、飛んでもないこと飛んでもないこと。


  昭和八年その月その日

    菊の鉢を廊下に並べて

      鳶魚幽人箋

三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社
大衆文芸評判記 (1972年)

大衆文芸評判記 (1972年)

 この本の成り立ちは高島俊男の本に書かれていたので知っていました。

江戸博士怒る

 わが国の大衆文芸は、大正の末、関東大災の直後ごろから、爆発的に隆盛期をむかえた。その大部分は、江戸時代に舞台をとった時代小説である。

 ところがその時代小説が、どれもこれも乱暴至極なものであった。なにしろ江戸時代のことなんかなんいも知らない作者が大正昭和の感覚で書きたい放題を書くのだから、その時代にはあり得ないことがゾロゾロ出てくる。

 もっとも読者のほうもなんにも知らないのだからおたがいさまで、どんなデタラメを書いてあろうがちっとも気づかず、よろこんで読んでいるのだからそれでいいようなものだが、多少もののわかった人が見ると、いかにも疑問の点が多い。

 そこで雑誌『日本及日本人』から江戸時代博士に、ちょっと見てくださいと依頼があり、鳶魚先生こころみに代表的なものをのぞいてみたら、もう毎ページ毎行まちがいだらけ、あまりのひどさにあきれかえった。

 ついてはそれをということで、大佛次郎の『赤穂浪士』を手はじめに、土師清二『青頭巾』、直木三十五『南国太平記』……と順にやって行った。読みながら「こんなバカなことがあるか」と批評すると柴田宵曲が書きとってまとめる。結局昭和六年から十四年まで八年間に、計十八篇に筆誅をくわえた。当時評判の作はたいがいマナイタにのせられてコテンパンにやっつけられている。中里介山の『大菩薩峠』、吉川英治『宮本武蔵』、それに大衆文芸と呼ぶのはちょっとかわいそうだが島崎藤村『夜明け前』等々。

 それがのちにまとめられて、本二冊になったのである。

高島俊男『広辞苑の神話』文春文庫
広辞苑の神話 (文春文庫)

広辞苑の神話 (文春文庫)

 小生*1入手したのは前編に当たる『大衆文芸……』のほう。今年の正月の古本市で見つけたので800円でホクホク買ってきました。しかし、そもそも元の本を読んでいないのではそれをけなす本を読んでも面白くなかろうなあ、と思って久しく積ん読だったのです。で、まあ、久しぶりに本棚で見かけたので読んでみましたが、やはりけなされている方を読んでいないのでイマイチ何を言っているのか分かりません。鳶魚先生も鳶魚先生であんまり本文を引用してくれないままにケチをつけ、また正解も書いてくれない。

大仏次郎の『赤穂浪士』

作者はこの「退出」という言葉を知らない。他に書替える言葉はいくらもある。これは音羽の護国寺へ行って、そうして帰られたのを「退出」といったのだけれども、「退出」という言葉を知らないから、こんなことを書いたので、芝居や浄瑠璃にも、将軍が退出したということを書いたものは曽て見ない。といったら、作者は何とかいうかも知れないが、そのまえに浄瑠璃なり、脚本なりを少々見たら、何と書くべきものかわかるだろうと思う。

三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社

 それを、知りたい。浄瑠璃なり脚本なりは、わたしにはハードルが高い。


 しかし、大佛次郎『赤穂浪士』長谷川伸『紅蝙蝠』吉川英治『鳴門秘帖』子母澤寛『国定忠治』あたりがコテンパンなら、もう時代小説全滅でしょう…… まあ実際全滅です。時代小説とは過去に仮託して現代を描くものなのですから。例えば教育現場の人間が学園ドラマのあらをいちいち指摘しても、しゃあないのではないでしょうか。警察の人が見る刑事ドラマとか、医者の診る医療ドラマとかね。馬鹿じゃなかろうかと思いながらサラリーマンが『島耕作』読んでる気持ち。エンターテインメントとは、間違っていることと見つけたり。

 でも、意地悪な気持ちから検証サイトを見るように、こういう本が発行されることに、知性の健全さを感じる、それは全然矛盾ではないと思います。


 あと、読みはじめて違和感があったのですが、この本は戦後なので「新字新かな」なんですね。「曽て」などという表記には、わたしも新字新かな世代ですけど違和感がありますね。「曾て」がいい。大佛次郎にしても、大仏じゃあ奈良だの鎌倉あたりの見世物みたいに見えてしまいます。

*1:高島節がうつっとる