蜀犬 日に吠ゆ

2010-10-06

[][][]三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社(その2) 22:42 はてなブックマーク - 三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 講談社の生きのこり戦略に関する記述が面白いのでここに引き写しておきます。

はしがき

 大衆小説というものは、今から数年前に、雄弁会が「講談倶楽部」を出して、講談の筆記を載せていたのでしたが、

三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社
はしがき

 大衆小説というものは、今から数年前に、雄弁会が「講談倶楽部」を出して、講談の筆記を載せていたのでしたが、そのうち講釈師と衝突して、雄弁会には講談の筆記を載せさせないことに仲間で相談をきめたことがありました。その時に雄弁会が困って、思いきってやさしく通俗的に、講釈種のようなものを小説に書いて貰う、ということを始めた。中には講釈の筆記をやっていた人なども、別な註文のわかり易い小説というものを書き出した。それが案外な当りを取って余所の社でもそれをやるようになり、講釈風なものだけではまだいけないというので、活動の模様を取入れたものに仕立てて、それが大はやりになって、遂に現在の情況に到った。講談から化けたものであるけれども、昔あった実録小説――これは講釈師の使う丸本というものから出たので、講釈師がしゃべる大体を書付けたものが基になっている。それと今日の大衆小説とは、活動模様が入っているといないとの違いではなく、その外に違ったものを持っている筈であります。

三田村鳶魚『大衆小説評判記』桃源社

 講談にしても、大正昭和には聞き手のレベルに合わせて「近代化」した内容を語っていたでしょうから、大衆小説作家のことばかりあげつらうのはやや言いがかりの気味があり、三田村鳶魚先生もそれを承知していたはずなのに、小説ばかりコテンパン、というのは、昭和初期にはもう講談の凋落が始まっていたということでいいのでしょうかね。講釈師は、もはや叩くにすら値しなくなった、と。

 雄辯会と講釈師が喧嘩別れして、結局生き残ったのは興行師ではなく出版界ですからね。陳寿の『三国志』より『演義』が人気を博するのは文脈が違うかもしれませんが、とにかく時代に合うものが正義であって、学問的な正しさは、顧みられないのが文学の正当なのだと思います。

 そういう中で高島節をよろこぶ自分は少数派だなあ、と思いますし時代についていけるのかものすごく不安です。