蜀犬 日に吠ゆ

2010-10-09

[][][]正史を疑う~~みなもと太郎 大塚英志『まんが学特講』角川学芸出版(その2) 20:53 はてなブックマーク - 正史を疑う~~みなもと太郎 大塚英志『まんが学特講』角川学芸出版(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 もうすこし速度を落として読み返してみます。

はじめに

ぼくにとっての「トキワ荘史観」とは手塚治虫に始まったまんが史が石森章太郎らトキワ荘グループによって発達展開し、それを少女漫画領域で「文学」化していったのが萩尾望都たち「二十四年組」である、と乱暴に要約しうるものだ。

みなもと 大塚『まんが学特講』角川学芸出版

 わたしはF信者なので「石森ら」に躓くところはありますが、まあいいでしょう。でもこれはおそらく、「ストーリー漫画」の系譜でしかたどれない、そこで「劇画」「貸本」あたりからそれを補完しようとする「みなもと史観」が登場するのだと思います。

 しかし、わたしにとって、補完してほしいのはもっと別の部分。

 それは、正史における「横山光輝の位置づけ」なのです。『まんが道』には全然登場しない、マルさんやカベさんのエピソードともまったくリンクしない横山光輝、サラリーマン雑誌でいわゆるオトナ漫画を描いていたお兄さんというのは、一体全体どこから出てきてどこへ去ったのでしょう。それは、孤高の存在であったのか、それとも手塚山脈とは異なる連峰を擁するのでしょうか。

 近所の漫画屋さんに、なんとなく『作品集・解説』的なものはあるのですが、手塚、藤子、石森、赤塚の研究書クラスのオーラを感じないので読む気が湧いてこないのですよね。しかし、ここには現代漫画の重要な史料があります。

 みなもとさん、ショタコンの話題で触れるくらい。しかも脚注をこれでもかと入れつつ、横山光輝は註なし、ってどういうこと?

小沢さとるも岸本修も横山光輝を抜けなかったのは、「少年の色気」の一点で遅れをとっていたからだと思う。小沢さとるの「丹下左膳」の白黒の世界なんてため息でるくらいきれいだけれど。横山光輝とかは瞳が妙な色気を発してるんだよね。うまいとか下手とか以前の問題で。

――そう。なんで、ぐっとくるのかわからないけどいい。

 わからないでしょ。俺らでさえ、「ショタコン」という言葉が出た時に「ああ、やっぱり正太郎クンの色気かぁ」とおもったからね。どうしようもないよ。

みなもと 大塚『まんが学特講』角川学芸出版

 たしかに、小沢さとるは絵柄が横山光輝っぽいんですよね。(あと、小沢さとるにも註がない。失礼だと思う。画像は小沢さとる「八番勝負」より伊賀丸。)では、こういう画風の一団がいたのでしょうか、トキワ荘集団(つまり手塚組)のように。そういう部分の分析は、これから必要になると思います。まんが学特講劇画編、パロディ編としてみなもと先生は十分と思いますが、まんが学徳講、もっと多彩な視点をばんばん必要としますよ。

まんが学特講  目からウロコの戦後まんが史

まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史






[][]花鳥諷詠、写生写生~~高浜虚子選『子規句集』岩波文庫 16:19 はてなブックマーク - 花鳥諷詠、写生写生~~高浜虚子選『子規句集』岩波文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 読書猿さんの『子規句集』の記事が面白くて面白くて、本家とブログ両方にブックマークしているのです.

高浜虚子編『子規句集』(岩波文庫

おそろしや石垣壊す猫の恋   子規

 これなどは「押し通す」どころの騒ぎでない。何が「写実」だ、パワー俳句。

『読書猿 Reading Monkey』第31号(新しいスキップ号)

 ゲラゲラ笑いました。

 ところがこの子規句集、引っ張りだして読んでみたのですが、本当にもう「写実」ばっかりなのですよね。「石垣壊す」などというのは例外に属するので『読書猿』だけ鵜呑みにするとえらいことになります。

 そもそも、高浜虚子選、というあたりがもう写生臭ぷんぷんたるわけでして、坪内稔典の解説でも、

解説

虚子は(略)碧梧桐の新傾向俳句などに対峙して<守旧派>としての立場を打ち出す。俳句の定型や季語、俳句らしい情趣や格調というような伝統を踏まえ、子規に始まった写生の深化を目指すのである。(略)

 『子規句集』はこんな虚子による編集であった。

高浜虚子選『子規句集』岩波文庫

 とあり、意図的に「写実」の句が採られているわけです。なので、是非、だれか選で『子規パワー句集』を出してほしい。

 もちろん『虚子パワー句集』も出せるはず。「去年今年~」とか、それこそ何が「写生」だよ。まあきよしさんのことはまあいい。

 で、読書猿の結論は、

高浜虚子編『子規句集』(岩波文庫

しかし、なんといっても一番は、

 日蓮の 骨の辛さよ 唐辛子

である。まいった。

『読書猿 Reading Monkey』第31号(新しいスキップ号)

 とあるのですが、わたしの文庫本(1993年第1刷発行、2009年第19刷版)にはその句が載っていません。旧版は1941年刊)とありますから、改版の際に入れ替えがあったのでしょうか。あったとして、1993年時点に虚子はいませんから、だれがどういう基準で手を入れたのでしょう。非常に困ります。

 巻末索引から見つかる日蓮句は

明治28年

 帰京途中

日蓮の死んだ山あり秋の暮

高浜虚子選『子規句集』岩波文庫

 のみ。あっあーん

子規句集 (岩波文庫)

子規句集 (岩波文庫)



[][][]孫子を読む 勢篇(その2) 15:39 はてなブックマーク - 孫子を読む 勢篇(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ

勢篇

凡戰者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日月是也、死而復生、四時是也、聲不過五、五聲之變、不可勝聽也、色不過五、五色之變、不可勝觀也、味不過五、五味之變、不可勝嘗也、戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭(つ)ざること江河の如し。終わりてまた始まるは、四時是れなり。死して更〃生ずるは、日月是れなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝(あ)げて聴くべからざるなり。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざるなり。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げって嘗むべからざるなり。戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからざるなり。奇正の相い生ずることは、循環の端なきが如し。孰(たれ)か能くこれを窮めんや。


 およそ戦闘というものは、定石どおりの正法で――不敗の地に立って――敵と会戦し、状況の変化に適応した奇法でうち勝つのである。だから、うまく奇法を使う軍隊では、(その変化は)天地の(動き)のように窮まりなく、揚子江や黄河の水のように尽きることがない。終わってはくりかえして始まるのは四季がそれであり、暗くなってまたくりかえして明かるくなるのは日月がそれである(が、ちょうどそれと同じである)。音は(その音階は宮・商・角・徴(ち)・羽の)五つに過ぎないが、その五音階のまじりあった変化は(無数で)とても聞きつくすことはできない。色は(その原色は青・黄・赤・白・黒の)五つに過ぎないが、その五色のまじりあった変化は(無数で)とても見つくすことはできない。味は(酸・辛(しん、からみ)・醎(かん、しおから)・甘・苦(にがみ)の)五つに過ぎないが、その五味のまじりあった変化は(無数で)とても味わいつくすことはできない。(それと同様に、)戦闘の勢いは奇法と正法と(の二つの運用)に過ぎないが、奇法と正法とのまじりあった変化は(無数で)とても窮めつくせるものではない。奇法と正法とが互いに生まれ出てくる――奇中に正あり、正中に奇あり、奇から正が生まれ正から奇が生まれるという――ありさまは、丸い輪をぐるぐる廻って終点のないようなものである。誰にそれが窮められようか。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫