蜀犬 日に吠ゆ

2010-11-05

[][]林望『日本語へそまがり講義』PHP新書 20:53 はてなブックマーク - 林望『日本語へそまがり講義』PHP新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 リンボウ先生の本を読んでいたら、こんなのに当たりました。「くう」と「たべる」は全然別系統のことばだと説明するくだりで。

第十九席 食うか食べるか

 古くは『催馬楽』にも、こんな曲がある。

 さけをたべうて、てべゑうて、たふとこりんぞや、まうでくる、まうでくる、なよろぼひそ、なよろぼひそ、まうでくる、たんな、たんな、たりや、らんな、たりちりら

 この「たうべ」も「たべ」も同じであって、要は「賜ぶ=いただく」ということである。酒を頂戴して足下がよろよろ覚束ない男が、調子よく笛太鼓の音を口まねしながらやってくる、とまあそういう意味である。

林望『日本語へそまがり講義』PHP新書

 わあすげえ、「たんな、たんな、たりや、らんな、たりちりら」だって。早速キーワード化しようと思ったのですが…

日本語へそまがり講義 (PHP新書)

日本語へそまがり講義 (PHP新書)

 小学館の『全集』に当たると、

酒飲(さけをたうべて) 拍子八

53 酒をたうべて たべ酔(ゑ)うて とふとりこそ まうで来ぞ よろぼひそ まうで来る まうで来る まうで来る


左介乎太宇戸天 大戸恵宇天 太不止己利曾 万宇天久曾 与呂保比曾 末宇天久留 々々々々々 々々々々々

『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集』日本古典文学全集25 小学館

 そして頭注に

酒飲(さけをたうべて) 拍子八

五 繰返しの代りに天治本は「丹名丹名太利々良々」、『仁智要録』は「タリタナチヤラタラリタラ」、『三五要録』の本説は「タリタンナチリヤラタリリララ」、藤家説は「タンナタンナタリリララ」、源家説は「タンナタンナンリチンアタリチリラ」とする。笛譜の唱歌を囃し詞風に入れたもの。

『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集』日本古典文学全集25 小学館

 とあります。

(小学館『催馬楽』の底本は鍋島家本)


 また、角川書店の『歌謡Ⅰ』 鑑賞 日本古典文学 では、

酒飲(さけをたうべて)

酒をたうべて たべ酔(ゑ)うて とふとりこぞ 参で来ぞ よろぼひぞ 参で来る 参で来る 参で来る


酒をいただいて、たっぷりといただいて、酔っ払ってしまって、どんと転がって、、参上いたします。よろよろとしながら、参上いたします。


酒飲

定本が決められないほど、諸本入りこんでいる。繰り返しなども、ずいぶん異同がある。

「たんな、たんな、たりらら」は、小西本にはなく、『入文』は、「たんな、たんな、たんや、らんな、たりちりら」。折口信夫は『入文』を採用している。要するに、楽器の音色を擬して言ったのだ。

『歌謡Ⅰ』鑑賞日本古典文学第4巻 角川書店

 『入文』というのは橘守部の『神楽歌入文・催馬楽入文』という注釈書のこと。

(角川書店『催馬楽』の底本は小西甚一『日本古典文学大系本』(←笑うところ?))


 ええと要するに、何が言いたいのかというと、林先生は、テキストの異同がある文献に関して「古くは『催馬楽』にも、こんな曲がある。」といいますが、普通に小学館の全集の本文だけだと「『催馬楽』にそんなのない!」となってしまうのではないでしょうか? 一般向けの書籍としては、不親切不案内であると思います。「たうべて」の説明とすれば、別にどのヴァージョンを引用しても構わないのですが、「定本が決められないほど、諸本入りこんでいる」のに「『催馬楽』」と書いて、リンボウ先生自分で気にならないのでしょうか。

 たんなる物知りオジさんではなくて林先生は「書誌学者」の肩書きでエッセイを書き、こちらもそういう肩書きに敬意をはらって読んでいるものですから、こうして書き散らして、「どうせお前ら低レベル読者は、催馬楽なんて知らんだろう? こういう昔のえらーい本があるんだ」とか、そういう風に言っているようにも邪推できるので、なんだか気になってしまい、キーワード化する気がしばしば失せたことでした。

 リンボウ先生はどういうつもりでしょうか。本当に、「催馬楽の本文になぞ当たる必要はなくてえらーーい学者の私のいうことを聞いておけばいいのだ。」というつもりだったとは考えにくい。かといって「国会図書館に行け! 東京国立博物館に閲覧を申請しろ! 宮内庁書陵部に潜入しろ!」などというのはPHP新書あたりを読みたがる読者層にはハードルが高いと思うのですが、うーん。残された可能性としては、なにか決定的な文献が見つかって「『催馬楽』の定本はこれだ!」というのが業界の常識になっているということですが、それにしたって書誌学者を想定の読者としているのであれば構いませんが、市井の八さん熊さん(とか私)には不親切不案内ですよねえ。