蜀犬 日に吠ゆ

2011-01-23

[][][]ローズマリ・サトクリフ『王のしるし』上 岩波少年文庫(その2) 20:37 はてなブックマーク - ローズマリ・サトクリフ『王のしるし』上 岩波少年文庫(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 もちろん、読みかけの本も読み返します。

王のしるし(上) (岩波少年文庫)

王のしるし(上) (岩波少年文庫)

 完全に話忘れたので、一から読みなおしたいと思います!



[][]J.シュミッツ 鎌田三平訳『惑星カレスの魔女』新潮文庫 20:37 はてなブックマーク - J.シュミッツ 鎌田三平訳『惑星カレスの魔女』新潮文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 本棚を探って話の内容を忘れたものを読み返す、これぞ「本棚忍法魔界転生」。

惑星カレスの魔女 (新潮文庫)

惑星カレスの魔女 (新潮文庫)

 新潮文庫版というのがもうねえ……

 ニッケルダペイン共和国の商業宇宙船をあやつるパウサート船長が、はじめてカレスの魔女(ウィッチ)たちに出会ったのは、惑星ポーラマでの夜のことだった。

J.シュミッツ 鎌田三平訳『惑星カレスの魔女』新潮文庫

 うわぁ……。SFの冒頭って、こうだから困ります。もうこの第一文で、知らない固有名詞があたりまえのように出てきて、作者がそれを読者に説明するつもりのないことがわかる。


 たとえば、『猫のゆりかご』なんかだと、冒頭はこうなります。

1 世界が終末をむかえた日

 私をジョーナと呼んでいただこう。両親はそう呼んだ。というか、ほぼそのように呼んだ。両親は私をジョンと名づけたのである。

 ジョーナ――ジョン――かりに元の名がサムであったとしても、

カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳『猫のゆりかご』ハヤカワ文庫

 云々。

 このあと、独自の「ボコノン教」の用語に基づいた自己紹介が続き、それが結局小説全体の伏線になっていくわけです。SFという異世界へ読者を誘い入れるのにこういう手法ならわかるんですよ。

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)


 ハイ・ファンタジーである『指輪物語』にしても、まず序章で「ホビットについて」とグダグダ異世界の情報を提示して、ホビットだのドワーフだの「中つ国」だのというものの存在を提示してゆくわけでしょう?


 しかし、いきなり「ニッケルダペイン共和国」の「商業宇宙船」をあやつるパウサート船長が、はじめて「カレスの魔女(ウィッチ)たち」に出会ったのは、「惑星ポーラマ」での夜のことだった。

 ハードル高い! 若いころなら勢いで読める本が、歳を取るとこうしていろいろ気に障るというのが、もう自分自身を悲しまざるを得ません。「もちろん、今は読みませんが」ではなくて、「今は読めない」になってしまっているのでしょうか?

惑星カレスの魔女 (創元SF文庫)

惑星カレスの魔女 (創元SF文庫)



[][][]小なる章を読む(その4) 16:26 はてなブックマーク - 小なる章を読む(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ


ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)


修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること

第二 小なる章

四、こよなき幸せ

 わたくしが聞いたところによると、――あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、(孤独な人々に食を給する長者)の園におられた。そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。そうして師に礼して傍らに立った。そうしてその神は、師に師を以て呼びかけた。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること

第二 小なる章


二五八 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いてください。」


二五九 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬すること、――これがこよなき幸せである。


二六〇 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、――これがこよなき幸せである。


二六一 深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、――これがこよなき幸せである。


二六二 父母につかえること、妻子を愛し守ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、――これがこよなき幸せである。


二六三 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し守ることと、非難を受けない行為、――これがこよなき幸せである。


二六四 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳公をゆるがせにしないこと、――これがこよなき幸せである。


二六五 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、――これがこよなき幸せである。


二六六 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当なときに理法についての教えを聞くこと、――これがこよなき幸せである。


二六七 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、――これがこよなき幸せである。


二六八 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、――これがこよなき幸せである。


二六九 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆる事について幸福に達する。――これがかれらにとってこよなき幸せである。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 善を望んで善を為すことができるなら、こんなに素晴らしいことはありませんよね。

「諸悪莫作 衆善奉行」